タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

エッセイスト 小島慶子
エッセイスト 小島慶子
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 昨年末、人影まばらな神社に、古いお札を納めに行きました。パンデミックでオーストラリアで暮らす家族と会えず、一人で過ごす2度目の年越しです。寒風の中、境内で遊ぶ子どもを見守る若い夫婦が、かつての自分と夫の姿と重なりました。幼かった子どもたちももう大学生と高校生。あの頃は手の離せない子育ての日々が永遠に続くように感じられたけど、振り返るとつい昨日のことのようにも思えます。ずいぶん古いお社なので、きっとこうして境内で遊んだ子どもは100年前にも500年前にもいたでしょう。親に抱かれてお参りした赤ちゃんが成長してかくれんぼして、家族を持って、年老いてまた一人で手を合わせに来たのかもなあなどと想像すると、今生きている時間を大切にしようとしみじみ思います。

 いくらネットがあっても、家族と生身で会えないのはやはり寂しいもの。挫けそうになると、飛鳥時代の遣隋使を思っています。手紙すらやり取りできなかった頃、命懸けで海を渡り、何年も家族と離れ離れで過ごした人たちはどれほど心細かったろう!と思うと、古の人々をなんだか身近に感じるのです。当時は天然痘などの流行病が蔓延(まんえん)しても神仏(仏様は今ほどメジャーじゃなかったかもしれないけど)に祈る他に手立てはなく、死はもっと身近なものだったでしょう。

 昨年は飛鳥時代を生きた聖徳太子の没後1400年にあたる年でしたが、太子は40代後半で亡くなっているのですね。今年50歳になる私は、いつの間にか、子どものころに1万円札で見ていた聖徳太子よりも年上になっていたのか……。自分が生まれた50年前は、もはや「歴史の世界」という感覚だったけど、1400年前に比べればつい最近。歴史なんていうには日が浅すぎますね。生きるほどに世の中は広くなって、自分は小さくなる一方です。

小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中

AERA 2022年1月17日号

会えない人に思いをはせ、神仏に祈る。人のそんな営みはきっと変わらない(写真:gettyimages)
会えない人に思いをはせ、神仏に祈る。人のそんな営みはきっと変わらない(写真:gettyimages)