「モラハラだと気づいた瞬間、すぐに自分を取り戻せる被害者はほとんどいません。その次にどう動くかを決めるには、時間がかかって当然です」(谷本さん)

 モラハラ相手には何を言ってもムダとよくいわれているが、谷本さんは自分がどう思っているのかを素直に相手に伝えることも大事だと話す。例えば「あなたの言い方によって傷ついている」「怖いと感じている」など、自分が感じていることについて、勇気を出して相手に伝えてみる。いわば、相手の足下に転がすように。相手が自分の問題・モラハラに向き合おうとしているかどうかは、相手がそのボールを拾おうとするかどうかで判断できるという。

「相手があなたの発言・転がしたボールに見向きもしないようなら、自分の行為、つまりモラハラ加害に向き合う気がないということです。そもそも言葉のボールを投げてみること自体が怖いという場合も、深刻なモラハラを受けている状態。逆に少しでも理解しようとする姿勢が垣間見え、あなたが相手との関係に揺れているなら、あなた自身が納得を得るために相手と向き合う時間をもう少し持ってみてもいいでしょう。そもそも自分の思いを伝えること自体が怖いという場合、深刻なモラハラを受けている状態。別れる、別れないに関わらず、一度離れた方がいい」(同)

 この“試し”の過程は、相手にわかってもらうためにするのではなく自分のための確認作業だ。相手からモラハラ態度が返ってきたら、がっかりするのではなく、「ああ、やっぱりな」と自分の納得を得るためにする。「相手が変わってくれるかもしれない」という期待を捨てる作業にもなる。さらに、この自分の気持ちを伝えるという段階を踏めば、「あの時、相手にきちんと伝えていたら、少しはわかってくれたのではないか」と、後で“あの時”に執着することを抑えてくれることにもなるという。

 ただ、深刻化している例では、最初の“試し”の過程である言葉のボールを転がす時点で、相手に受け止めてもらおうと必死で投げ、たとえ相手からどんな風に返されても「コミュニケーションがとれている」という誤った感覚に陥ることも少なくないという。罵詈雑言や無視でさえも、自分へのコミュニケーションの一つであると錯覚してしまう。密室化された家庭内で、ある種の洗脳状態に陥ってしまうと、第三者の支援なしでそこから脱出することが難しくなってくる。

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