哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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中国にとっての喫緊の危機は台湾海峡の軍事的緊張よりむしろ人口減問題かもしれない。
中国における人口問題とは久しく「人口過剰」問題であった。14億人というのは19世紀末の世界人口である。それが一国領土内にひしめいているのはどう考えても異常である。だから人口抑制のための「一人っ子政策」が1979年から2015年まで実施された。けれども、少子化と教育費の高騰によって、中国の人口問題はいきなり「人口不足」問題に一変した。
人口問題の不思議はこの点にある。過剰か不足かどちらかの様態しかなくて、「ちょうどよい」ということがない。
日本でもある時期まで「人口問題」は「人口過剰」のことだった。それがある時期から「人口減少」に変わった。どうしてこんなことが起きるのか。おそらく「いずれ人口が減りだして大変なことになるが、それまでは増え続ける」という場合にはどの国の為政者も「人口増」という目先の現実に適応して社会制度を設計し運営するからである。そういうのが「リアリスティック」だと思っているのであろう。
ニュースを報じたニューヨーク・タイムズの記事は「中国は中国政府も国際社会も想定していなかった規模の地殻変動的な人口動態的危機に直面している」と書いているけれども、これは言い過ぎだと思う。人口がいつかピークアウトすることをずいぶん前から北京は予測していたはずだからである。にもかかわらず人口が増えている間は人口減政策を後回しにした。そのようにして人口問題についてはほとんどの国の政府は構造的に「後手に回った」。
米政府の予測では、中国の生産年齢人口はこれから20年で30%近く減り、代わりに高齢者が爆発的に増加する。中国の中央年齢は現在38歳で米国とほぼ同じだが、20年後には48歳となり、今の日本を抜く高齢社会になる。
中国政府はとりあえず出産の奨励と教育費の抑制で対処するようだが、奏功する見込みは薄いだろう。本来なら「人口減先進国」たる日本が「生き延びるための施策」を中国に教示すべきなのだが、むろん日本にもそんなものはない。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2022年1月31日号