源氏の将軍は3代で絶え
そんな鶴岡八幡宮は、大倉御所と隣接し政治の一部を担う場所でもあった。頼朝の嫡男・頼家は修善寺で北条氏により暗殺され、鎌倉将軍3代目の実朝は、鶴岡八幡宮へ昇進祝いの拝賀へ出かけた折、長い石段の下で頼家の次男・公暁に襲撃され討ち取られた。頼朝の没後、わずか20年で源氏の将軍は絶えてしまった。これから長い北条氏による鎌倉時代が続いていくのである。
公暁による実朝暗殺には、背後にこれを謀った人物がいたのではないかと言われる。今年大河ドラマの主人公は、そんな疑惑を持つ人物の一人である。実朝と現場にいるはずだった北条義時が、直前に体調を崩したとその場を離れ、代役を務めた者が巻き添えを食って切られているのだ。この点について、研究者たちは様々な推論を唱える。実際には現場に居合わせながら将軍を守れなかった執権が、その場にいなかった、と記録書を書き換えたという説も含めて。
暗殺者・公暁の墓はないが、実朝のお墓は母・政子と共にある。祖父・源義朝が住んだ亀ヶ谷に、政子が頼朝のために開山した寿福寺の境内に。そして、白旗神社の祭神としても父・頼朝と共に祀られている。そしてこの後も歴代北条氏は、亀ヶ谷と鶴岡八幡宮を包み込むようにお寺を作り続けていくのである。もしかしたら、北条一族の後ろめたさが、この後に続く、源氏崇拝へと続いているのかもしれないと、ふと思ったりもするのである。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)