武士全体の9割以上を占めていたという四十九石以下の下級武士たち。限られた収入の中、分相応の生活を営み、愉しんでいたという。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.10』では、江戸三百藩の暮らしと仕事を解説。ここでは誕生、元服から家督相続、隠居まで武士の一生の行事を一挙紹介する。
【イラスト解説】結婚に相続…江戸時代「武士」の一生行事はこうだった!
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上は将軍から、下は御家人などの下級武士に至るまで、武士は同じような行事や儀礼を経験しながら一生を送ったが、誕生からしばらくの間は祝い事が続くのが習いであった。生まれてから1年だけをみても、お七夜、御宮参り、お食い初めの行事と続いた。
当時は医療水準がまだまだ低く、乳幼児の死亡率は非常に高かった。家族にしてみると、無事生き続けたことをその都度祝いたい気持ちが強かった。よって、家族による祝い事が幼少期に連続したわけである。
誕生から7日目の行事・お七夜では、父親からは武士の魂である刀や産着などが贈られるのが定番だった。約一カ月後のお宮参りは今でもみられる行事だ。百日目にはお食い初めの行事となる。
5歳になると、袴着の行事が執り行われる。初めて袴を着ける儀式であり、子供を吉の方向に向けて碁盤の上に立たせ、左の足から袴をはかせた。武士の場合、外出時や人に対面する時は袴を着用するのが習いであったことから、その練習をさせたのである。袴を着用し始めた時から、腰には刀を差すようになる。
15歳くらいになると元服の儀式が執り行われる。もともとは公家が初めて冠を被る儀式であり、髪を結って冠を被る加冠の儀と称された。武士の場合は前髪を落とし月代を剃って髷を結う儀式だったが、その役を担った者は烏帽子親と呼ばれ、後見人のような役割を担うことになるのが通例である。
元服に伴い、名前も変更となる。幼名から実名(諱という)に改めたが、実名で呼ばれることはほとんどなく、普段はもう一つの名前である通称で呼ばれた。例えば、坂本龍馬の諱は直柔だが、通称の龍馬で呼ばれるのが通例だった。なお、元服は吉日が選ばれたが、年の初めの正月の吉日に執り行われることが多かった。