「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。今回は、クーデターから1年のミャンマーについて。
【YouTube】声もない、動画もないからこそ緊迫感が…ミャンマー速報
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ミャンマーで軍によるクーデターが起きて、1年になる。昨年の2月1日、軍は政権を担っていた国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スーチー氏らを拘束。全権を掌握した。
一報が耳に入ったとき、ミャンマーにいる知人たちが気になった。急いで何人かに電話をかけた。皆、無事だった。しばらく、電話やネットが通じたのだが、しだいに不安定になり、2月5日の夕方にはネットはもちろん、携帯電話、固定電話……すべてがつながらなくなった。
軍はクーデターに抗議する勢力がSNSや電話で連絡をとり、デモが広がっていくことを警戒していた。そのため、通信手段の遮断に走ったようだった。
日本にいるミャンマー人に連絡をとった。皆、家族や友達と連絡がとれないという。
2月7日の午後、知り合いのミャンマー人が浅草につくった寿司店にいた。「寿司令和」という店だった。ミャンマーの少数民族であるラカイン人が寿司を握る店だ。客が入る前の時間だった。家族と連絡がとれないラカイン人が数人、店に集まっていた。
午後5時ぐらいだったろうか。皆のスマホが一斉に鳴った。ミャンマーにいる家族や知人が粘り強く、電話をかけ続けていたのだ。
しかし連絡がとれるようになると悲惨な状況が次々に伝わってくる。抗議デモは日を追って膨らんでいったが、軍や警察は銃を市民に向けた。犠牲者が報告が毎日届く。
ミャンマーにいる知人たちからは、この状況を世界に伝えたい……という連絡が寄せられていた。ミャンマー内では、フェイスブックを中心に膨大なデモや軍の情報が飛び交っていた。2011年にミャンマーでは形式的だが民政化が実現した。それ以前、長く軍が政権を握る時代が続いた。クーデターでその時代に逆戻りしてしまったが、大きな違いはSNSだった。民政化に舵が切られてから10年の間に、SNSは国民の伝達ツールとして定着した。