二十四節気図
二十四節気図
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 全国各地から大雪の情報が流れてくるが、暦上では今は春である。日本には、いくつかの暦が存在していて、通常使うカレンダー(西洋暦/グレゴリオ暦)、旧暦と呼ばれる太陰太陽暦(日本では天保暦を使用)、そして季節を表す言葉として使われる二十四節気などがある。

●知ってるけど、理由は知らない言葉

「何?それ」と思われる方も多いだろうが、日頃からよく使い、ニュースにもよく取り上げられる言葉である。例えば、春分・秋分、夏至・冬至は小学生でも知っているし、先日豆まきをした立春、“春近し”の意味で取り上げられることの多い「啓蟄(けいちつ)」など、1年を24等分した暦のことを二十四節気と呼んでいる。

●太陽暦と太陰暦の始まり

 暦の始まりは古代エジプトにあると言われる。紀元前5600年頃から始まった農業で、適切な農作業の日を知る必要があったため、またナイル川の氾濫時期を正確に知るため、太陽暦が作られることとなった。一方、メソポタミア文明を築いたバビロニアでは、月の満ち欠けをもとに太陰暦の元になるものが作られた。これは、夜間でも行動する人たち、海洋民族に広まっていった。ところが、月の周期は29.5日、これでは1年が354日となってしまい、実際の1年よりも11日も短くなる欠点をはらんでいた。

●月の周期と太陽の周期

 そこで、バビロニア人たちは、太陽の動きも加味して、閏月(同じ月がもう一度くること。例えば「閏5月」などと言う)を加えることによって、季節との誤差を調整する暦を使い始めた。これが太陰太陽暦と呼ばれ、今に続く旧暦と呼ばれる暦となる。また、中国でも十干十二支(日本では簡単に干支と呼んでいる)を使った太陰暦が使われていたが、こちらもやはり季節とのズレを補正するため、二十四節気が作られることとなった。つまり、二十四節気は太陽の運行を元に作られた暦なのである。もちろん、こののち中国でも閏月を使った太陰太陽暦へと使用される暦が変わったことは言うまでもない。

●古来、暦はまじないに近いもの

 日本に暦が渡来したのは6世紀ころだとされる。江戸時代に日本人による暦が作られるまで、ずっと中国の暦を輸入して使用していた。そして、二十四節気も同様に渡来し、暦の中に書き込まれる季節の言葉となっていった。もちろん、日本の暦にはそれ以外にも吉凶を表す六曜(大安・仏滅など)、選日(十二直など)、一粒万倍日、三隣亡など、今では何が元になっているのか不明なものもあり、江戸幕府や明治政府は、このような吉凶を信じてはいけない、といった令を出すほどの影響を持っていたらしい。

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