若い頃は死があんまり怖かったので、一層のこと死の向こう側へ行って恐怖の対象と融合して自分が死の対象になってしまえば怖くないだろうと思って、生活と創作の環境を死一色にして、死と無縁の絵は滅多に描かなくなってしまった。そして自分を此岸(しがん)の人間ではなく相対的な彼岸の人間と設定してしまって、向こう側から、この現世を達観して眺める考えというかクセをつけてしまった。死んだと仮定すると現世での行為が時には馬鹿馬鹿しくなって、何であんな欲望のために野心野望で振り廻されていたんだろうと、老齢と共に、現世への執着や競争心が見事になくなってきたことを知った。

 そして、なーんだ老齢になるとほっといても欲望や執着から自由になれるんだと、若い頃、禅寺で参禅などしたことが馬鹿馬鹿しく思えるようになってきたのである。もうこの年になれば好奇心も失せる。だったら好きなこと、したいことだけをすればいい。そして変に人に好かれようとか、忖度(そんたく)するとかが無意味に思え、何かの大義名分のために、何かをするという目的さえ馬鹿馬鹿しくなってきて、ラテン人間で行こう、シャーナイヤンケの生き方で、何をするにしても一生懸命になることはない、白黒もつけない、いいかげんが一番生きやすいと、こんな結論に知らぬ間に達していたというわけだ。

 となると、死ぬ時が来たらジタバタ(肉体はあばれるでしょうが)しないで、ハイおまかせでいいような気がしている。

 こんな考え方になると、老齢が面白くて、楽しくて仕方ない。絵なんかどうでもいい。どうでもいい絵を描けば、それがかえってアヴァンギャルドになるかも知れない。岡本太郎さんみたいに頑張る生き方は自分のための生き方というより、他人にアッピールするための生き方なので、ありゃ、シンドイですよ、ということになる。

 その時したいことをして、食べたいものを食べ、したくないことは、堂々と断る。10万円くらいのギャラを1千万円といって相手をびっくりさせて面白おかしく生きた方がいい。こんな生き方をすると、逆に延命して死ねなくなるのも困るけれど、世のため、人のため、国家安泰のためなど言わない、成るようになる生き方で、死ぬまで生きればいいんじゃないでしょうか。インテリみたいに妙な虚無感など、アクセサリーにもならない苦しむだけの哲学です。さあ、自分の一番絶頂期に死にましょう。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年8月12日号

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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