その後、主催者側の人もいろいろとフォローしようとしてくれたのだが、つくづく日本の企業はきちんとしたセクハラ研修を受けておらず、問題に対応する能力が欠けているのではないかと感じるものだった。以下はこの日、私たちが主催者側にかけられた言葉の一部だ。
「あの人(私たちを怒鳴った男性)はSキャラで有名なんですよ」
「ふだんはおもしろい人なんですけどね」
「現場を見てないので、私たちは何も言えませんね」
「これからは、ちょっかいを出さないように注意しときますから」
男性だけでなく女性もそんなふうに私たちを「慰め」ようとし、「戒め」ようとし、そしてただひたすら頭を下げてきた。私たちはその度に、「謝るのは皆さんじゃないし、そもそも皆さんに謝ってほしいのではなくて、対応を考えてほしいんです」と伝えたが伝わらないようだった。「もう、ちょっかいを出さないように注意しときます」と言われたとき、あまりに残念だったので私は、「ちょっかいじゃなくて、ハラスメントです。ハラスメントを軽く捉えないでほしいです」と伝えた。すると、その男性の顔色が一瞬で変わり、いらだちが伝わってきた。何が悪いかわからないまま、頭を下げてくれていたのだろう。そしてこういうやりとりをすればするほど、加害者が問題化されず、声をあげる被害者側が「めんどうくさい人」になっていく空気も生まれてくる。ああ、やりきれない。
同一労働同一賃金の原則が守られず、多くの女性たちが男性よりも低賃金で働かされている。決定権行使の場に行けば行くほど女性の姿は少なくなり、わずかに残った女性たちも、女性の立場をよりよくすることよりも、男性に同化する道を選んでしまいがちだ。それが生き残る道、とでもいうように。でも、当たり前のような顔をして女たちの人生を潰す、そんな組織に未来はあるだろうか。
だから組織は本気で学ばなければいけないのだと思う。「キャラだから」とセクハラを放置せず、「どっちの言い分も聞かなくちゃわからない」と泣いている被害者を戒めずに、セクハラや性暴力について学んでほしい。そっちから見たら「ちょっかい」だったり「からかい」だったりするかもしれない。そっちから見たら「恋愛」かもしれない。けれど、こちらから見たらそれは「性暴力」なんだよ。そんな声に耳を傾け、今回の高裁判決のようなアップデートがこれからの組織には求められるはずだ。誰もが安心して自分の尊厳が損なわれることなく働ける、当たり前の社会であってほしいのだ。
■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表