虐待サバイバーの羽馬千恵さん(38)。信頼できる精神科医と出会い、今は働くことができ症状も落ち着いているという。「SOSを出し続けて」photo 本人提供(羽馬さん)
虐待サバイバーの羽馬千恵さん(38)。信頼できる精神科医と出会い、今は働くことができ症状も落ち着いているという。「SOSを出し続けて」photo 本人提供(羽馬さん)

 親からの壮絶な虐待を生き抜いた「虐待サバイバー」で、『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)の著書がある札幌市に住む羽馬(はば)千恵さん(38)。羽馬さんは、梯被告の気持ちがよく理解できると話す。

「普通、幼い子どもを何日も放置したら、『死ぬ』と考えます。しかし、私もそうでしたが、虐待の被害者は、社会的常識がかなり欠落しています。親に教わっていないからです。梯被告も、26歳の平均的な判断力や社会的常識は欠落していたのではないでしょうか」

 兵庫県に生まれた羽馬さんは、0歳の時に両親が離婚し母親に引き取られた。その後、母親は再婚と離婚を繰り返すが、そのたびに義父から壮絶な虐待を受けた。家事を強制され、「頭が悪い」と罵(ののし)られ、食事のマナーが悪いと暴力を振るわれた。熱湯の湯船に長時間入れられ出ようとすると殴られ、性的被害にも遭った。12歳で自殺を考えた。

 高校を中退。それでも勉強が好きで大学に入りたい思いが強く、勉強をし直し、奨学金をもらい北海道の大学に進学した。

 一人暮らしの解放感を満喫(まんきつ)したのもつかの間、幼少期の虐待の影響が出てきた。

■助け求めるのが怖い

 人間関係がうまくつくれず、子どものころ手に入らなかった「父親的愛情」を求め年上男性に過度に依存し、期待が裏切られたと感じると感情が爆発して自分をコントロールできなくなった。攻撃的な別人格が現れる「解離性障害」も発症。当然友人も失い、仕事も長続きしなかった。29歳の時に結婚したが、4年で離婚したという。そんな羽馬さんは、梯被告も「周囲にSOSを出すことができなかったのではないか」と話す。

「誰かに助けを求めることは『援助希求』と言いますが、虐待を受けた人は追い詰められたり困ったりしても基本的に『SOS』を出せません。他人に相談することで助けてもらえたという経験がないからです。逆に、親に相談したために怒られるという恐怖心があり、『助けて』と言うこと自体が怖いのです」

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