子どもだけが反省し、「いい子」になることは、ここでは求められておらず、親子両方が陥りやすいクセや弱みを、対等に伝え合っている。
いやいや、宿題をしない子に注意することは、親の役割だと思う人もいるかもしれないが、それをきっかけに、宿題と関係のないことまで持ち出して小言を言い続けたり、親の気分や体調でいつもよりひどい怒り方をしてしまったりすることは、ないだろうか? そこから先は、もう単なるけんかだ。子どもは、その違いをちゃんと見極めている。
かといって、親がいつも「冷静に注意する」を続けられるほど、家族って簡単なものではない。いつも完璧な親でいようと思ってもうまくいかない。麻紀さんはそれでいいと言う。
「けんかはなくならない。だったら、もっと上手にけんかができるようになるにはどうしたらいいのかなって、いつも考えているんです」
だったら、いっそ開き直って「お母さんって、こういうところあるよね」と、子どもに指摘される方がいい。「そう、疲れて怒っちゃったの。だから、疲れているときは大目に見てね」と 大人が弱音を吐いたって、いいじゃないか、家族なんだから。
それが、江連家の「けんかかいぎ」の軸にある。
つねに生活をともにしていたら、夫婦も親子も摩擦が起きて当然。子育て中の忙しい時期なら、どちらかに負担がかかり不満が増えても仕方ないかもしれない。
でも、リビングにあるホワイトボードに絵を描いて、お互いのことを冷静に見つめ、自分のことも冷静に見れば、そこに笑いが起きてくる。
現在では、夫や少し成長した息子さんをいれての家族会議も実施中の江連家。
「何かあればまたかいぎをしたらいい」と思うことで、かぞくの関係が軽くなったと麻紀さんは言う。
もはや家族会議はすでに江連家にとって、なくてはならない生活の一部なのだ。
(文/ライター・玉居子泰子)