浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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「悪夢のまっただなかにいる時、頼りになるのは、普通なものだけだ」。この一節が、偉大なる推理小説家、アガサ・クリスティーの作品の中に出てくる。作品名は“Sad Cypress”(邦題『杉の柩(ひつぎ)』)。

 何度となく読み返している作品だが、今回は冒頭に記した一節が目に留まった。初めてのことだ。これが優れた文学の秀逸なところだ。読み手が置かれている状況に応じて、異なる箇所に思いが引き寄せられたり、触発されたりする。新たな発見がある。新たなメッセージが聞こえる。

 2022年初頭の今、我々はまさしく悪夢のただなかにいる。感染症が世界を覆いつくしている。ロシアがウクライナに攻め込むかもしれない。アフガニスタンの人々が、タリバンの支配下でとんでもない苦境に追い込まれている。あちこちで独裁者たちが人権を侵害し、民主主義を踏みにじっている。突如として、人類が忘れかけていたインフレが鎌首をもたげてきて、国々の中央銀行を翻弄(ほんろう)している。

 悪夢の中の悪夢の中のまた悪夢。果てしない悪夢の重箱の中に、閉じ込められてしまった我ら。出口など、全く見当たらない。見渡す限り、怖くて不条理なものだらけ。そんな世界に迷い込んでしまっている時、そこにひょこっと普通な何かが顔を出したら、どんなにかほっとすることだろう。どんなに救われることだろう。我々は今、普通なものの出現を待っている。

 普通なものとは、どんなものか。それは、良識に裏打ちされた常識。ドーピング疑惑がかかっているスポーツ選手が、競技に参加し続けることを「それって変でしょ」と思える当たり前の感覚。ポピュリスト型の政治家が「敵は移民だ」などと叫ぶ時、「それってウソでしょ」と一蹴できる平静さ。悪夢の中のバケモノどもが迫ってきた時、「ちょっとそこどいて」とこともなげにやり過ごせる平常心。

 普通はいい。今の世の中、何かにつけて刺激にあふれ過ぎている。ネットの炎上やらフェイクやらが、刺激の強さをいやがうえにも煽(あお)り立てる。独裁者たちがツイッター合戦に参戦したりする世の中だ。振り向けば、そこにある普通。それを頼りに、我々は悪夢に打ち勝とう。

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

AERA 2022年2月28日号