コロナ後の生活で興味があり、どうなっていくのが気になるのがコロナ禍で世の中に染みついてしまった「分断グセ」。コロナに関しては分断が、もうイヤになるくらい生まれていますよね。マスクに対する分断、ワクチン賛成、反対の分断、ワクチン3回目打つ、打たないに対する分断、コロナの対策に対しての分断……。なぜ、そんなに白黒つけたがるのか、対立構造にしたがるのか、すごく不思議なんですよね。
マスクでもワクチンでも「私はこう思う」となると、反対の意見に対して「いやいや、アンタ、間違ってるよ!」という完全否定で潰しにかかってくる。ただの言い合いになって、そういう言い合いの構造って、コロナ後にどうなってしまうのだろうとも思う。
「分断グセ」のついた世の中で、例えばコロナ対策の政府の対応を批判するのも、僕の本音を言うと、もう何も語りたくない。それは、嫌気がさしたわけではなくて、それに対して「賛成だ」「反対だ」にだけなっていくのがイヤでしょうがない。テレビ番組でコメントを求められる仕事をしていますけど、イヤでイヤで仕方がない。「だったらそんな仕事、辞めちまえ!」と言われると思いますが、いやいや、あなたはそんなに仕事をすぐに辞められますか?
コロナ対策において政府の対応が遅いとか言われますけど、やることはやっていると思う。何にもやっていないわけではないと思う。それをいいとか、悪いとか話すこと自体、もうイヤになっていますよ。コロナ対策を誰がやっても、こういう風になっているのではないのか? とも思います。
コロナが終わったあと、「分断グセ」が付いてしまっているから、他の分断が起こっていくんだろうなと思う。「VS.(バーサス)」構造にばかりなっているけど、こういう構造にしなきゃいけないの? 何でも、すぐに対立の構造にする。そういうことじゃないんじゃないの? コロナ終息後にもコロナと共存していくのに大事なのは、分断していくことではなく、人と人との共存を改めて考えることなのではないか?