オフィスが入るビルの横には隅田川が流れ、東京スカイツリーを望める(撮影/写真部・松永卓也)
オフィスが入るビルの横には隅田川が流れ、東京スカイツリーを望める(撮影/写真部・松永卓也)

 その頃、音楽の世界ではファイル共有サービスのナップスターが物議を醸していた。楽曲の入ったファイルをユーザーが自由に交換できるサービスは大手レコード会社の逆鱗(げきりん)に触れ、後に倒産に追い込まれるのだが、大企業を慌てさせるスタートアップの登場は痛快だった。大学の卒業が近づく頃には、音楽よりネットビジネスの方が面白そうに思えてきた。就職活動をしなかった近澤は、ウェブコンテンツ制作会社に中途入社した。

 ウェブで動画などを動かす「アドビ・フラッシュ」というソフトウェアの使い手として腕を磨いた。だが米アップルのスティーブ・ジョブズが07年に「iPhoneではフラッシュの使用を認めない」と言い出した。

■海外で働かなくては

 エンジニアとしての方向転換を迫られ、ディー・エヌ・エー(DeNA)に転職する。業界のカリスマ、南場智子が率いるDeNAには、世界レベルのエンジニアが集まっており、腕を磨くには最高だった。

 ただソーシャルゲームが人々を幸せにしているとは思えず、2年で辞めた。27歳だった。

 知人とファッション系のネットベンチャーを立ち上げてCTO(最高技術責任者)に収まったが、経営方針がかみ合わず、程なく辞めた。困ったのは日本に働きたいと思う会社がなくなってしまったことだ。本当にやりたいことをやる会社を作りたい。最初から世界も狙いたい。冷静に考えると「海外で働く」という経験が抜け落ちていた。

 近澤はサンフランシスコに乗り込み、エンジニアを募集している会社を探した。オファーがあったのは米国ではなくシンガポールのViki(ヴィキ)という会社。「字幕で世界が開かれる」というコンセプトのもと、ハリウッド映画や韓流ドラマに字幕をつけてネットで配信するサービスを手がけていた。

■起業の“聖地”に移住

 日本人がほとんどいない、日本語も使えない。そんな環境で、創業者のラズミッグ・ホバギミアンの側で様々な仕事を担当した。この2年間は近澤を大きく成長させた。株式を楽天に売って資産家になったホバギミアンは、シリコンバレーでローカルニュースの配信会社を立ち上げるため、「一緒に来ないか」と近澤を誘った。起業の聖地で働けるなんて願ってもない。

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