「肉体的に精神的にも苦に堪へ得るところがスポーツマンの生命であつて実社会のチームワークに歩調をそろへ決してありふれた徒党根性を持つて居ないところが買はれるのではなかろうか」

 体力がある、など身体的に優れていることはもちろんですが、精神的な苦痛にも耐えられる、慣れない仕事に黙々と立ち向かって体得してしまう。「成績がよくない」学生でも体育会系にはこのようなイメージがあり、評価されたようです。

―――その後、体育会系神話は続いてきたのでしょうか。

 体育会系が有利という現状は大学や競技にもよりますが、戦後、しばらく続きました。「体育会系」を利用することは、学生にとっても企業にとっても至極自然だったのです。

 それは、日本で大企業中心型の一括大量採用が定着していたからです。大学3年後半からいっせいに就職活動が始まります。企業にすれば限られた時間と情報で優秀な人を採らなければならない。人事採用担当者は社内外から大きな圧力を受けます。そこで企業は体育会系学生を一つのわかりやすい採用基準(シグナル)として考えてきたのかもしれません。実際、新卒一括採用というのは、採用した新卒全員が企業に適応し、昇進することを想定していない。将来、体育会系学生のなかから、優秀な幹部が出てくれればいいな、という程度の評価による採り方だといえます。そのなかから、その企業を大きく発展させるような人材が出てくる、社長になるといったケースもある。それゆえ、企業は体育会系学生に期待するところがあったのかもしれません。

―――現在はどうなのでしょう。企業にすれば、体育会系学生はすばらしいということになっているのでしょうか。各大学の就職状況を考えると、体育会系神話が通じるわけではないような気がします。

 大学の体育会系にはグラデーションがあります。「体育会系」といっても、ひとまとめには括れなくなっています。たとえば、国立大学や難関の私立大学に推薦ではなく一般入試で大学に入学する学生がいます。体育会系神話が誕生したときにはこの層がほとんどでした。彼らを「エリート体育会系」と呼ぶことにします。一方、中堅以下の私立大学にスポーツ推薦で入学した学生がいます。高校在学中に受験勉強をスルーしたため学力が十分でなく大学の授業についていけないこともあります。こちらを「ノンエリート体育会系」と呼びましょう。

 このあたりはしっかりした調査、研究がなされず、両者は体育会系神話のなかで区別されずに語られてきてしまいました。

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