「豪放磊落(らいらく)、包み込むような優しいオーラがある。それでいて身だしなみに無頓着。覚醒剤で服役し、出所してきたばかりの人に『腹減ってないか? しゃぶしゃぶでも食いに行くか?』と冗談を言うような明るさが魅力でした」
近藤さんの大腸がんが発覚したのは2年前の1月。すでに78歳。完治の見込みは薄かった。
「それでも各地のダルクの動向が気になるものですから活動をやめませんでした。この2月中旬も、佐賀県で行われた研修会にリモートで参加したんです。常に仲間の皆のことを考えていました」(日本ダルク・インフォメーションセンターの篠原義裕さん)
茨城ダルク・今日一日ハウス(茨城県結城市)の岩井喜代仁(きよひろ)寮長(74)は、23歳にして暴力団組長にのし上がり、覚醒剤の売人と顧客として50年ほど前に近藤さんと知り合った。その後、自らも覚醒剤にのめり込み、全てを失った過去がある。
「『やりたいようにやれ。間違ったら修正すればいい』。それが近藤さんの口癖でした」
岩井さんは、近藤さん逝去の前夜、自宅に伏せる近藤さんを見舞った。
「痩せ細ってしまい、本人はかなりの激痛だったと思います。それでも最後の最後まで、モルヒネのような麻薬性鎮痛剤に頼らなかった。生涯かけて薬物の魔の手から逃れよう、依存者を助けようとした近藤さんらしい。別れ際、私の手を握りしめて『頼むよな』と言われたのは一生忘れません」
前述のように、田代受刑者は、ダルク職員として近藤さんの薫陶を受け、また講演会の講師として同じステージに立ったのは10回、20回ではない。6年前、こんな夢も話していた。
「近藤代表の日常を追い、活動をリポートするドキュメンタリー映画を作りたい。それが薬物依存について正しく知ってもらうきっかけになればいいし、薬物依存に悩んでる人やその家族、友人に手を差し伸べられると思います」
残念ながら、それはもうかなわない。近藤さん逝去の報に接してどのように思うのだろうか。(高鍬真之)
※週刊朝日オンライン限定記事