「スタンドでは年配ファンの姿が目立った。やはりオープン戦とはいえナゴヤ球場での試合には独特の雰囲気がある。先日東京ドームが100億円規模の大改修をしたことが話題となった。現在の建築技術があれば同じようにナゴヤ球場をリノベーションして使い続けられたのではという声も聞こえました」(中日担当記者)
1924年にできた甲子園は平成の大改修を経て生まれ変わった。楽天生命パーク宮城も1950年に開場した宮城野原公園宮城球場をベースにリノベーションして別物のようになった。1948年開場のナゴヤ球場も1軍球場として生き残れた可能性もあったかもしれない。
「ナゴヤ球場の最大の良さは庶民的な部分。球場全体が狭かった分、フィールド内の選手とスタンドの距離が極端に近かった。鳴り物応援があっても打球音や選手の声が聞こえる時もあった。メイエキ(名古屋駅)から1駅とアクセスも非常によく、仕事終わりにも行きやすかった。ストレスが解消できるエンタメとして市民生活に溶け込んでいました」(名古屋在住スポーツライター)
中日がナゴヤ球場を去り、1997年から本拠地としているのがバンテリンドーム。国内屈指の広さを誇り外野席上には超大型ビジョンが設置されるなど箱だけ見れば文句のつけようはない。移転後もリーグ優勝5回を達成するなど歴史も積み重なってきた。しかしナゴヤ球場の方がいまだに人気があるのはノスタルジーを感じているからだけではない。地理的にも、選手との距離も“近かった”かつての本拠地の良さをいまだに忘れられないからだろう。
「ナゴヤ球場が注目を浴びているのは立浪監督がチームに戻ってきたのも大きい。中日が本拠地として使用していた時代の最後に優勝した1988年に高卒新人として華々しくデビュー。そして1996年、1軍で使用する最後の試合のゲームセット時に打席に立っていたのも立浪監督だった。立浪和義の野球人生はナゴヤ球場とともにあると言ってもいい」(中日担当記者)