3年ぶりに日本球界復帰をはたした15年3月27日の開幕戦は、皮肉にも西武プリンスドームでの西武戦だった。1回2死二塁、4番・中島が打席に立つと、スタンドの西武ファンから情け容赦ないブーイングが浴びせられる。サードを守るかつてのチームメイト・中村剛也も思わず苦笑するほどの激しさだ。「打席に入ったら聞こえないから」と集中に努めた中島だったが、牧田和久の浮き上がってくる直球をとらえきれず、遊ゴロ。スタンドからはオリックスの他の選手がアウトになったとき以上に大きな歓声と拍手が沸き起こった。

 そんな逆風にもかかわらず、中島は「最初がここで良かったんとちゃいますか」と“通過儀礼”のように割り切り、3連戦でいずれも1安打ずつを記録した。

 だが、2軍打撃コーチ時代に中島を育て、「3連戦で8安打する力がある」と警戒していた西武・田辺徳雄監督にしてみれば、結果的に“包囲網”は大成功。決定打を欠いたオリックスは開幕3連敗を喫した。

 古巣との対戦は、ファンのみならず、かつての恩師もいるなど、いろいろな意味でやりにくそうだ。

 打席でブーイングを受ける打者に対し、登板中ずっと野次られる投手はもっとしんどいはず。そんなプレッシャーに打ち勝ち、古巣相手に史上13人目の全12球団勝利を達成したのが、ロッテ時代の涌井秀章だ。

 14年、西武からロッテにFA移籍した涌井は、シーズン初登板となった4月1日の本拠地・QVCマリンでの西武戦で、6回途中3失点でKOされ、黒星スタートとなった。

 開幕4戦目でシーズン初勝利を挙げた西武・伊原春樹監督はうれしさのあまり口が滑り、「ここ2年くらいの涌井はあんなもの。5回ぐらいになると、スピードも切れも落ちてくる。今日はもったほうじゃない」とこき下ろした。

 この発言は翌日「涌井はあんなもの」の見出しで報じられ、サブローが掲載紙を球場のロッカーに張ったことから、涌井は嫌でも目にすることになった。

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