エッセイスト 小島慶子
エッセイスト 小島慶子
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 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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 連日の戦争のニュースに、今すぐ戦闘をやめてほしいという思いが募ります。戦火の中にある人たちは、ついひと月前まで、子どもの反抗期や仕事の失敗や失恋や、家のローンに頭を悩ませていたことでしょう。年明けに新しいカレンダーの表紙をめくりながら、今年もちょっといいことがあるといいなと思ったはずです。その人びとが今、慣れない武器を持って前線に立ち、あるいは着の身着のままで国境を越えています。頭を占めていた暮らしの計画や悩みの数々は、ミサイルの着弾音で吹き飛ばされてしまう。戦場では初対面の人同士が出会い頭に殺し合い、ネット上で差別や憎悪が増幅されています。スマホの画面の中で燃え上がる建物に涙を流し、粉砕される戦車に快哉を叫んだ人もいるでしょう。たとえ情緒的だと言われようとも、私は建物の中にも戦車の中にも、誰かの子どもや誰かの親がいると考えてしまいます。為政者や一部の人々が始めた戦争は個人の顔と名前を奪い、幸せになりたいと願って生きていた人たちを、人を殺して死ぬのが正義だと思うほかないところにまで、追い込んでしまう。どの戦争でも、かつての日本でもそうでした。私の両親はそういう教育を受け、焼夷弾の炎の中を逃げ惑った子どもたちでした。

戦争は個人の顔と名前を奪う。戦争のニュースを見るたび、小島さんの頭をよぎる歌がある(写真:gettyimages)
戦争は個人の顔と名前を奪う。戦争のニュースを見るたび、小島さんの頭をよぎる歌がある(写真:gettyimages)

 ニュースを見るたびに、頭をよぎる歌があります。与謝野晶子が日露戦争の戦地の弟を思って書いた「君死にたまふことなかれ」と、宇多田ヒカルの「あなた」です。いずれも作者の真意はわかりません。けれどその言葉を読むと、史実の記録やニュース映像で見る戦争の犠牲者たちの命は悲惨な戦いで死んだから尊いのではなく、その人だけのありふれた日常を生きていたからこそ尊いのだという思いを強くします。今の自分にはどれほど非現実的に思えても、それは決して他人事ではないということも。

小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中

AERA 2022年3月28日号