○生活様式さえも変化した寺なし人生
それでも薩摩藩では、その後いくつかのお寺が再興して今に至っているが、元に戻れなかった苗木藩(現岐阜県中津川市苗木)という小藩もある。あまりに廃仏毀釈を徹底したため藩主の菩提寺さえも取り壊され、お寺はすべて無くなった。現在は近年建立された「永壽寺」1寺が残るのみとなっていて、この地域の人たちの葬儀の大半は神式なのだそうだ。菩提寺・雲林寺にあった「苗木遠山家廟所」は、今では一般の墓地の片隅にひっそりと残されている。
○日本の仏具に高い芸術性を見出す
こうした悲劇に見舞われた日本の仏像を救ったのは、アーネスト・フェノロサと岡倉天心だったのかもしれない。廃仏毀釈はすでに止んではいたが、未だ西洋のものはありがたく、日本のものはつまらないものという考え方が残っていた日本で、彼らは、日本文化の高い芸術性に衆目を集め、価値や蒐集、保存の必要性を説いた。長く保管されてきた経典を陶器の保護用に使用したり、仏像や什器などをぞんざいに扱っていた人々たちの手が止まったのである。国宝という概念はフェノロサによるものである。
扇動された人たちの行動は計り知れない。廃仏運動が治まった陰で尽力した人々もあったが、仏像を破壊するという行為に対し、慄いていた人も多かったことだろう。実際、この騒動をなんとかやり過ごしたお寺の中には、打ち壊しにやってきた人々を、仏像自らが戦って立ち去らせたという逸話を残す仏さまも数多くある。そんな歴史が、わずか150年前の日本にあったのである。
マスメディアなどない時代でさえ、人は扇動されるのである。首のない仏像を見かけるたび自戒の念に囚われる。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)