どこかに性加害者マニュアルのシナリオがあるのかと思うほど、性被害者に向ける誹謗中傷の内容は世界中、時代を問わず、驚くほどに全く同じだ。

 それでも、ここ数年、世界中であげられた#MeTooの声が、世界を変えつつある。少し前だったら、公開直前の映画が取り消されたり、仕事が全てキャンセルになったりするなど、告発された側のキャリアが中断させられるようなことはなかったかもしれない。海外のように何万人もが集まる#MeTooデモがなかったとしても、性被害者の告発に数百万の「いいね」がつくような国ではなかったとしても、じわじわと、日本に暮らす女性たちは諦めずに、力をつけはじめているのだ。

「もしかしたら今、過去の自分を振り返って怯えている男性はけっこういるんじゃない?」

 そんな話を女友だちとした。#MeTooの声は、その声の数だけ加害者がいる、ということである。社会的地位が高く、失うものが大きい人ほど#MeTooに怯えるのはその通りだろうとは私も思う。それでも、本当にそうなのだろうか? これまで私がみてきた性暴力やセクハラ、未成年を買春した加害者たちの顔や言い分が思いうかぶ。彼らは誰一人、怯えておらず、堂々としていた。むしろ地位が高ければ高いほど、自信を持って「合意の上です」と言い切っていたものだ。有名であればあるほど「彼女にも何か意図があるのだろう」と詮索してくれる「仲間」も多かった。また「妻に申し訳ないことをした」など、「愛妻家」をここぞとばかりにアピールし、「家族も苦しんでいるんです」と被害者のポジションに立ちたがる人もいた。

 #MeTooの声で加害者は怯えるのだろうか? 

「加害者は怯えてないかもよ。だって悪いことしたと思ってないし。だから被害者が何年も後に告発したときに、本気で驚くのだと思う」

 別の友だちはそう言い切ったが、私もそうなのではないかと思っている。心の奥底では怯えているからこそ、過剰防衛で攻撃的になったり、やましさを打ち消すために堂々と振る舞ったりしている可能性もあるが、たいていの場合「被害者は告発などしない」と余裕を感じているのではないか。そして、そういう加害者の余裕ぶりが、さらに被害者を恐怖に陥れ、怯えさせるのだと思う。被害者はずっとずっと怯え続けている。

次のページ
諦めない声 じわじわと