大原さんは福島県須賀川市で生まれ育った。子どものころは「体が弱くて、家から出られなかった」と言う大原さんはアメリカの詩人・エミリー・ディキンソンの作品に共感し、傾倒した。
「ディキンソンは引きこもりで、家からほとんど出ないような人生を送ったみたいです。今回の写真展のタイトルにもした『アラバスターの部屋で安らかに』という詩が好きなんです」
近年、東京で写真活動をするようになると、須田さんに共感した。
「それぞれの部屋に、それぞれの人生があったんだろうなって、思いますね」
ちなみに、「アラバスターの部屋」は「柩(ひつぎ)」を表している、と言うディキンソンの研究者もいる。
「須田さんは306号室で人生を終えたわけですが、アラバスターの柩と似ていると思った。そこで写真展をやらせてもらえるのであれば、これはもう私自身の写真でやろうと思った。自分の子どものころの写真に、鉱物の写真を重ねて――それは柩であり、宝箱でもある。自分の父親の記憶を封じ込めるとともに、それをちょっと眺めてみたいな、と思った」
■妄執にとらわれていた祖母と父
大原さんの父親はどんな人だったのか?
「漫画『ちびまる子ちゃん』のお父さん『ひろし』みたいなイメージですね。軽口をたたいて失敗するタイプといいますか。ははは。なので、ぜんぜん尊敬してなかったです」
最初は、父と娘の葛藤が、時へていい思い出になったくらいの、よくある話と思っていた。しかし、まったく違った。
「まあ、なんでしょうね。父親の家系っていうのが、ちょっとストレンジでして。自分たちは南北朝時代に福島にやってきた先祖の末裔だって……。恥ずかしながら祖母と父はそんな妄執にとらわれていた。それで、母と、母方の家系に似ている私はかなり差別されてきた。家庭内差別です」
大原さんは祖母と暮らしたが、ふすま1枚へだてて、まったく行き来がなかった。
「祖母が亡くなるまでの15年間、食事もいっしょにとらなければ、お祝いもない。私が入院しても見舞いもない。祖母からはまったく愛されなかった」
そんな状況を変えられない、変えようともしない父親が嫌いだった。「人生において衝突することがかなりありました」。
そんな父親が撮影した写真を見返そうと思ったのは、306号室の存在を知ったことがきっかけだった。