林:当然知りませんよね(笑)。私も高校生のときYBS(山梨放送)でオーディション受けてディスクジョッキーをやってたんです。

マキタ:はい、そうですよね。

林:「マリリンちゃん」と呼ばれて、「私ってすごいかもしれない」ってテングになっちゃってたんだけど、それ以上のことは何もなかったな。東京生まれの父親の影響もあって、私は標準語が話せたので、自分は都会の人だと思ってたら、東京に来てすぐ勘違いだってことがわかりましたよ。

マキタ:僕はいまだに山梨の方言が抜けないんです。「何かを取りに行く」って、僕はいまだに「持ちに行く」と言うんです。「てっ!」(えっ!)とか「だっちもねえ」(くだらない)とか。

林:「とんでけえる」(急いで帰る)とか。

マキタ:「あけみちゃん」(「あ」にアクセント)とか言うと……。

林:「あんた山梨だね」ってすぐバレちゃう(笑)。私の世代は、山を一つ越しさえすれば、東京の楽しくて華やかな世界が待っているんだと思いながら生きてきたけど、マキタさんの世代でもまだそれがあったんですね。

マキタ:まだネットがない時代だったんで、山の向こう側に行ったら何かがあるはずだというのはありましたね。ガンダーラじゃないけど(笑)。たまに東京から戻ってきたときに、みんなから羨望を集めるんじゃないかという甘い考え方がありました。

(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)

マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。28歳のときに芸能界デビューし、音楽と笑いを融合させた「オトネタ」を提唱。各地でライブ活動を行うほか、ドラマ、映画、バラエティー、ラジオなどで幅広く活躍。2012年の映画「苦役列車」で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞を受賞。著書に『越境芸人 増補版』『決定版 一億総ツッコミ時代』『すべてのJ−POPはパクリである』など。3月、自身初の小説『雌伏三十年』を出版した。

週刊朝日  2022年4月22日号より抜粋

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