マキタスポーツさん(左)と林真理子さん (撮影/写真映像部・高野楓菜)
マキタスポーツさん(左)と林真理子さん (撮影/写真映像部・高野楓菜)

マキタ:書き始めたのは7、8年前ですね。まだ当時は小説を書いてる芸人はあまりいなくて、書き始めてしばらくしたら又吉(直樹)君が芥川賞とったんで「ワッ、なんだよー」と思って、すごいガッカリした印象があります(笑)。

林:わかります。この本を読むと、たぶんそういうことにムカツク人だろうなって思ってました(笑)。

マキタ:アハハハ。

林:この本には、RCサクセションとかキョンキョンとか尾崎豊さんとか、いろんな人の歌詞が入ってますけど、マキタさんはもともと音楽をやってたんですよね。

マキタ:そうです。楽器を始めたのは中学2年のときでした。当時僕がいた山梨市の日下部のあたりで、エレキギターを持ってる人は少なくて。お年玉ためてエレキギターを買ったものの、ただただ目立ちたい一心で買ったので、弾き方もわからないんですよ。学校にギターかついで行って、周りから羨望を集めていい気になっていたという。

林:ああ、わかる、そういうの。

マキタ:そうしているうちに、長渕剛さんがラジオでやっていたギター講座を聞くようになって、それで、これだったら俺、できるかなと思っちゃったんですね。当時は「明星」とか「平凡」とかに「歌本」というのが入ってて、そこにギターの簡単なコードが載ってたんですよ。それでコードを覚えて、当時のはやり歌を練習したのが最初でした。そして高校生になると、佐野元春さん、桑田佳祐さん、尾崎豊さん、浜田省吾さんたちのまねをしながら……。

林:モテたんだ、学園祭で(笑)。

マキタ:確かに周りからワーキャー言ってもらいましたね。

林:ちょっと人気者になって、「世の中チョロいな」って勘違いして東京に出ていくと、自分がぜんぜん何者でもないことに気づかされるというのが山梨県人の特徴ですよね(笑)。

マキタ:でも、林先輩の当時のエッセーとかを読むと、ご自身の内面をすごく正直に書かれてるから、僕から見ると林先輩はわりと順調に見えてましたね。僕は明らかにテングになって、俺には山梨は狭すぎると思って出ていったクチなんです。山梨をバカにしてたというか、下に見ながら「東京は俺のことに気づいてくれるだろう」と思って出ていったら、東京の人って僕のことぜんぜん知らないんですね。

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