松田聖子が「裸足の季節」で歌手デビューを果たした80年には、河合奈保子や柏原芳恵もデビューした。82年とならぶ大豊作の年でもあった。

「現在のようにライブやインターネットを通じて草の根で人気が高まるような形はまだなく、プロダクションやレコード会社、テレビ局など、大人たちのバックアップがなければ売れない時代でした。ブレークした80年アイドルに、大人たちが集中してバックアップする体制をとった。そうなると、どうしても次の年のアイドルへの力の入れ方が手薄になってしまいますよね」(中森さん)

 アイドル史の中で「空白の1年」のような81年が、ネクスト聖子、ポスト聖子の誕生への準備期間のような役割を果たしたのかもしれない。そして、満を持して登場したのが「花の82年組」だったのだ。中森さんは言う。

「82年組のデビュー当時のレコードジャケットや写真を見ると、中森明菜さんや小泉今日子さんも、すべて『聖子ちゃんカット』です。街ゆく女の子たちもそうでした。82年組は、最初はみんな『松田聖子フォロワー』として売り出された、見分けもつかないような存在だった。そこから、それぞれの個性を開花させ、独自のポジションを見つけていったんです」

 令和のいまで言えば「テンプレ型アイドル」といったところか……後のレジェンドたちは、そこからどん欲に個性を磨き、それぞれの才能を開花させていった。

中森明菜さん
中森明菜さん

 中森明菜はセカンドシングル「少女A」で、かつての山口百恵を彷彿させる不良少女の雰囲気でブレークした。小泉今日子は髪をバッサリ切ってショートカットとなり、「KYON2」という愛称も同時に印象づけるセルフプロデュースに近い路線を展開。堀ちえみはドラマ「スチュワーデス物語」でのセリフ「私はドジでノロマなカメです」が流行語になるなど、演技で注目を集めた。前出の安野さんは言う。

「店内のBGMで82年組の曲がかかると、誰ともなく『あー、82年組!』と声があがり、そこから82年組の曲のリクエストが続く。『私は断然、明菜派』『スタイルのいい石川秀美!』『妹みたいな伊代ちゃんがよかった』『俺はカッコいいキョンキョン!』と、各自のイチ推しアイドルの話題で盛り上がることもよくあります。松本伊代さんの『センチメンタル・ジャーニー』と早見優さんの『夏色のナンシー』は、特に盛り上がる人気曲ですね」

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