入国を拒否されても、帰ることのできないKさんは、難民申請をした。約1カ月半の間、成田空港の入管内に留め置かれた後、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターに移動し、約1年間収容された。

「私が日本に来たときの体重は90キロ。でも、入管を出たときには65キロになっていた。すごい痩せたよ。食べ物は食べられなかった。家族のことを考えて、心配になってしまって、夜は全然眠れなかった」

 牛久の収容施設にいるとき、難民申請の審査結果が出た。入管の職員は、難民申請が却下された書類をKさんに見せた。結果を受け入れることができなかったKさんは、書類を「いらない」と言って、投げ捨てた。

 だが、その日の深夜、入管の職員はKさんのいる部屋に来て、再び書類を突きつけた。これに嫌気がさしたKさんは、トイレに向かった。

「トイレには洗剤がいっぱいあるから。洗剤を1リットルほど飲んだ」

 洗剤を一気飲みして、気持ちが悪くなったKさんはその場に倒れた。Kさんの戻りが遅いことを心配した同室の人が様子を見に来て発見された。このとき、Kさんは口から泡を吹いていたと、同室の人から聞いた。救急車で病院に運ばれ、2週間ほど入院した。

■入管で2度目の自殺未遂

 収容から1年後に牛久を出て、仮放免になった。だが在留資格はないため、就労は許可されていない。しかし、生活はしていかなければならない。Kさんは入管に内緒で解体業の仕事に就いたが、そこで不慮の事故に見舞われた。

「現場で上から落ちてきた物が腰にあたった。そのせいでヘルニアになってしまった。事故にあったことで、仕事をしていることが入管に見つかって、また捕まった」

 解体事業者は1円も補償してくれなかった。仮放免は、医療保険の加入も認められていないため、ケガや病気をしたら医療費は全額自己負担になる。ヘルニアの治療費は、NPO法人「北関東医療相談会」が援助してくれた。

 18年、Kさんは車いす生活になったまま、東京入国管理局(東京都港区)に6カ月収容された。事故が原因でヘルニアとなり、一人では立つことができず、トイレや入浴には入管職員の介助が必要だった。

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「現地に送還したら危険にさらされる可能性がある」