祖国を離れなければならない事情を抱え、日本にたどり着いた人たちがいる。日本の難民認定率1.2%(2020年)という壁に打ちのめされながらも、必死に命をつなぎ、日本で平穏に暮らせる日を待ち続けている。日本で不自由な生活を強いられる彼らが、帰りたくても祖国に戻れない理由は何なのか。「前編」では、民主化運動で祖国ミャンマーを追われた少数民族ロヒンギャの男性の足跡をたどった。今回は意図せずテロ組織の活動に加わってしまったがゆえ、西アフリカのマリから逃げざるを得なくなったKさん(40代男性)のケースを紹介する。
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西アフリカのニジェール川中流域にある内陸国マリ。首都バマコ出身のKさんは、故郷でのかつての生活をこうなつかしむ。
「テロリストたちがマリに来るまでは良い生活だった」
マリでは、北部のサハラ砂漠に住む遊牧民・トゥアレグ人が独自国家「アザワド」の樹立を求めて独立運動を起こしてきた歴史がある。この動きは、2011年にリビアのカダフィ政権が崩壊すると、より混乱を極めることになる。
リビア軍に雇い兵として出ていた一部のトゥアレグ人らが、カダフィ政権崩壊後にマリ北部へ帰還。彼らは、アザワド国独立のためにイスラム主義勢力「アザワド解放国民運動(MNLA)」を結成する。これにイスラム過激派組織「アンサル・ディーン」などが加わり、マリ政府と対立して内戦状態に陥っていく。
Kさんは当時、マリ北部の独立運動が、自身が住む西部のバマコにまで影響が及ぶとは思ってもいなかった。だが、数奇な運命によって、Kさんはこの内戦に巻き込まれ、祖国を追われることになってしまう。
12年、Kさんは市役所の職員として働いていた。ちょうど5年の契約が切れるところだった。契約満了を迎え、次の仕事を探していたところ、学生時代の友人から「新しい仕事がある」と話を持ちかけられた。
「市役所の給料は当時の日本円で月10万円くらい。友達が紹介してくれた仕事は20万円だった。だから、すごく喜んだよ」