「トイレは、尿をカップに入れる。それを入管の職員が流してくれるけど、呼んでも来ないときがあった。カップは2回分も入らない。だから、窓を開けて、外にバーッと出すしかなかった」

 たびたび、カップにあふれそうになった尿を部屋の窓から投げ捨てる日々……こんなみじめな行為をしなければいけないことに、Kさんは悲観的になった。再び自殺を図った。今度は、部屋に水をはり、テレビの電源コードで感電しようとした。だが、深夜3時だったからか、電気は通っていなかったようだ。

「1時間後くらいに入管の職員が来て『何している!』って驚いていた。狭い畳の部屋に水がいっぱいだったからね」

 いまは、再び仮放免状態にある。NPOの支援によって、最低限の生活をしながら、3度目の難民申請の審査結果を待っている。

「いつも近所にいる日本人のおばさんが食べ物を持ってきてくれる。今日も電話をもらって、『Kさんは明日何時に家にいますか』って。豚肉を食べないイスラム教徒の私のために、牛肉や鶏肉を使った料理を作ってくれる」

 マリに残してきた息子は9歳になった。電話はできるが、ずっと会えていない。一緒に暮らせる日を望んでいたが、いまでは「わからない。どうしたらいいのか……。いつも答えがでない」とうつむいた。

■マリは治安悪化で帰れる状態ではない

 Kさんがマリを13年に逃れ、祖国に帰ることが困難である背景について、東京外国語大の武内進一教授(アフリカ研究)はこう解説する。

「この9年間、イスラム過激派勢力によってマリ情勢は悪化し続け、その活動の規模も拡大しています。テロ組織からしたらKさんは裏切り者。一方、マリ政府との関係は悪くないにしても、テロ組織と関わりのある人物だと見なされるかもしれません。政府軍側から亡命をすすめられたということは、現地に送還したら、相当な危険にさらされる可能性があります。今、マリは制裁によって国境貿易が遮断され、周辺国から物資が入らない状況にあるので、市民生活にも影響が及んでいることが懸念されます」

 Kさんがマリにいたとき、たまたま駆け込んだのが在マリ日本大使館だった。そこでもらった手紙に救われる思いであったに違いない。だが、日本に着いたら、入管による耐えがたい苦痛が待っていた。

 日本政府は、ウクライナからの「避難民」受け入れを踏まえ、紛争地からの「準難民」制度の創設を目指しているが、あくまでも「難民」ではないという姿勢は崩さない。日本における難民認定は依然として厳しいままだ。いま、改めて日本の難民制度が問われている。

(AERA dot.編集部 岩下明日香)

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