完全試合での「13者連続」を含む1試合19奪三振。投手の華は奪三振であることを佐々木朗希(ロッテ)は再認識させてくれた。5試合36イニングを投げ計60個、9イニングあたり15.00奪三振。しかも5四球とコントロールが抜群だ(数字は4月27日現在)。過去の「昭和のドクターK」や「平成のドクターK」の記録を振り返り、今後の佐々木の奪三振記録の可能性を探った。
以下は「最多奪三振」のタイトルを3度以上獲得した投手だ。さらに各投手が1シーズンに奪った三振数が一番多い年の個数と投球回数を列記した。
金田正一(国鉄)、1955年、350個、400回/稲尾和久(西鉄)、61年、353個、404回/鈴木啓示(近鉄)、68年、305個、359回/江夏豊(阪神)、68年、401個、329回/村田兆治(ロッテ)、79年、230個、255回/江川卓(巨人)、81年、221個、240.1回/遠藤一彦(大洋)、84年、208個、276.2回/野茂英雄(近鉄)、90年、287個、235回/川口和久(広島)、91年、230個、205回/井川慶(阪神)、2004年、228個、200.1回/松坂大輔(西武)、05年、226個、215回/杉内俊哉(ソフトバンク)、10年、218個、182.2回/ダルビッシュ有(日本ハム)、11年、276個、232回/則本昂大(楽天)、17年、222個、185.2回
創設期「投高打低」だったプロ野球界は、中西太(西鉄)・野村克也(南海)・長嶋茂雄・王貞治(いずれも巨人)らの出現で「打撃優位」に推移する。王が初めて本塁打王のタイトルを獲得したのは1962年だ。さらに戦力均衡を目的としたドラフト制が導入されたのが65年。それでも江夏がシーズン日本最多401奪三振をマークした68年は329イニングを投げている。
そう考えると、現代野球の佐々木の奪三振記録と比較する場合、現実的には後に「サンデー兆治」の異名を取った79年の村田以降が妥当だろう。佐々木がシーズン143試合に中6日で先発すると年間24試合×8回として年間192回になる。参考までに2021年の山本由伸(オリックス)は、193.2回を投げて206個だ。