
読書には人生で大切にしたい言葉との出合いがある。AERA 2022年5月2-9日合併号の特集「今読みたい本120冊」では、各ジャンルの専門家がおすすめの本を10冊ずつ紹介。その中から、三省堂書店成城店店員・大塚真祐子さんが選んだ「エッセイ」をお届けする。
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この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細(ささい)な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない──。
岸本佐知子の『死ぬまでに行きたい海』に出てくる印象的なフレーズです。
私自身も同じように感じていることが多分にあり、とても感銘を受けました。
歴史に残るような人や出来事ではなくとも、それぞれに人生があり、記憶があり、豊かさがあります。そこにあった景色をどこかに残しておきたい。今回選んだ10冊には、そんな私の想いが反映されています。
林芙美子の『下駄で歩いた巴里』は、『放浪記』を書いた後の1931年にパリを訪れた日々が、軽やかに屈託なくつづられています。女性があの時代に、カバンひとつで海外へ。発表されてから少し時間は経っていますが、文体はまったく古びていません。コロナ禍によって気楽に旅をすることができなくなった昨今だからこそ、読むと力をもらうことができます。
太宰治の門下生だった小山清の『風の便り』。娘が誕生したことや仕事について書かれているのですが、全体に優しいまなざしがあふれていて、気持ちが和らぎます。
そして、装丁が美しい。絵本作家の高橋和枝さんの絵が丁寧に貼り付けられていて、持っているだけで幸せになれる、丸ごと素敵な一冊です。
エッセイとは、大人が読むものだと思います。
人生を重ね、過ぎていく日々の中で、ふと立ち止まって、どう生きていこうかと考えた時に自分以外の誰かの生き方を知るために開くもの。
読み終わらなくてもいいのです。開いたページに、心に響く言葉があれば、自分の中に大切にしまっておけばいいと思います。