山井は8回も3人で抑え、完全試合まであと1イニングとなった。リードはわずか1点。山井が9回もゼロで抑えれば良いが、1人でも走者を出して守護神・岩瀬仁紀に代えれば、絶対に抑えられる保証はない。最悪逆転負けともなれば、第6戦以降、シリーズの流れは確実に日本ハムに行ってしまう。
究極の選択を迫られた最終回を前に、森コーチは山井に「どうする?」と尋ねた。「行く」と言えば、続投させるつもりだったが、山井は迷いながらも「(9回は)岩瀬さんでお願いします」と答えた。
この結果、中日は史上初の完全試合リレーという最高の形で、53年ぶりの日本一を達成したが、「非情采配」と批判する声も多かった。だが、森コーチに投手起用の全権を任せていた落合監督は、一切言い訳をしなかった。
アイデアマンでもあった落合監督は、ドミニカの助っ人獲得ルートの新規開拓など、自らの発案による任務も、「オレは人脈も政治力もないから、シゲがやれ」と一任していた。
「オレ流」の名将を支えた名参謀は「落合監督が成功した理由に、すべて自分でやるのではなく、任せることの重要さを理解していたことは、とても大きかったと思う」(前出「参謀」より)と回顧している。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。