巨人時代の76、77年、中日時代の82年、西武時代の90~94年の5連覇など、通算12回の優勝、5回の日本一に貢献。ダイエー助監督時代の99年には、球団初の日本一の陰の力となり、「ワンちゃん(王貞治監督)を男にする」の公約を実現した。
黒江コーチは参謀の役目を「監督の方針に従って、チームをひとつにまとめるのが仕事。必要であれば、コーチや選手に嫌われるのを承知で、率直な言い方をするし、時には嫌みのひとつも言ったりする」(自著「泥をかぶるも人生」祥伝社)と定義していた。
ダイエー時代の00年には、監督批判の芽を事前に摘み取るという使命感から、「あの茶坊主め、と選手に嫌われても、監督の風除けに徹する」と決意し、選手たちを歯に衣着せぬ言葉で“口撃”しつづけた。反感を抱いたナインが優勝胴上げの際に落とすことを企んでいると知ると、「やっと牧野さんと同じくらい嫌われる、いい参謀になれたかな」と実感したという。
そして、V2決定後の胴上げで、黒江助監督は、王監督に続いてナインの手で宙を舞い、シーズン前、連覇達成の目標とともにアピールした“冥途の土産の胴上げ”は無事終了した。
自ら泥をかぶる覚悟で指揮官の名誉を守り抜いた名参謀に、王監督も「クロちゃんは悪者にはなれない。自らを笑い者にしてムードメーカーにもなれた。クロちゃんの代わりはいないから」と最高の賛辞を贈っている。
中日・落合博満監督の右腕として07年の日本一と4度のリーグ優勝に貢献したのが、森繁和コーチだ。
落合監督自身も「監督である私が貢献したことがあるとすれば、森をコーチに据え、すべてを任せたことではないだろうか」と全面的に信頼していた。
07年の日本シリーズ第5戦で、8回までパーフェクトに抑えた山井大介を9回に降板させたのも、森コーチの進言によるものだった。
自著「参謀」(講談社)によれば、山井がマメを潰しながら投げつづけていることに気づいた森コーチは、7回の時点で落合監督にその事実を告げていたという。