名監督の陰には名参謀ありといわれる。自らは縁の下の力持ちに徹し、監督の信念に基づく野球をチーム全体に浸透させるとともに、時には監督に代わって憎まれ役を引き受けることもある。そんな球史に残る名脇役たちを紹介する。
巨人・川上哲治監督の参謀として、前人未到のV9に貢献したのが、牧野茂コーチだ。
1961年シーズン途中、川上監督に招聘された牧野コーチは、中日選手時代は目立った実績もなく、巨人が他球団出身者をコーチに迎えるのも前代未聞の出来事だった。
だが、「ドジャースの戦法」(アル・キャンパニス著)を繰り返し読んで自分のものにしていた牧野コーチは、川上監督の意を受け、投げて打っての個人主義の野球から、当時はどのチームも採り入れていなかったチームプレー重視の緻密な野球への一大転換を図る。
チームプレーが確立されていれば、戦力的に劣っていても、常に優勝争いできるという理由からだった。
例えば、無死三塁のピンチで、右中間に飛球が上がったケースでは、センターが捕ると体を反転させる分、送球にロスが生じるのでライトが捕る。この間、センターはバックアップしつつ、どこに送球するか指示する。さらにセカンドはカットマンとしてライト方向に走り、その後方にはショートが入るといった具合。
このように、すべてのプレーにおいて、チームを勝利に導くための約束事があり、1人でも義務を怠れば、容赦なく罰金を科した。
物腰が柔らかい牧野コーチは、“雲の上の存在”だった川上監督の意向を選手に伝えるパイプ役としてもうってつけだった。川上監督も牧野コーチの進言を8割程度聞き入れ、失敗したときでも、「言ったのはお前でも、決めたのは私だから」と、けっして怒らなかったという。
V9の陰の功労者となった名参謀は「土台がしっかりしていたからこそ、9階建てのビルが建ったのである」と回想している。
巨人のV9戦士の一人で、計6球団の参謀を務めたのが、黒江透修コーチだ。