以前、現役の先生に質問したんですが、「究極、コイツぶっ叩かないとわかんねぇなっていう生徒もいるでしょ?」に「正直、いる」と。それでも、もちろん叩かないし、叩いてはいけない。叩かずに指導したとしても「うるせぇ!」と言われることもある。「そのとき、どうするの?」って聞いたら、いまは保護者を呼ぶそうです。保護者と生徒と先生で三者面談をして、保護者に叱ってもらうそう。
そのときの保護者も大きく分けて2つあって、1つは「バカヤロー!」と叱ってくれるタイプ。もうひとつは、明らかに自分の子どもが悪くても、叱らない保護者もいる。そうした叱らない保護者のときは、先生も「厄介ではありますね」と話していました。教育現場のジレンマを感じましたね。
だだ、これが人間社会の中で正解なのかと問われると、僕は正しいと言い切るには、いまは自信がない。いままで、日本人は体罰が全くない世の中に長く過ごしたことがないから、それなくして何年後かにどういう社会になっていくのか見えてはいない。もしかしたら、20年後、ダメな大人が増えていたりするのか? 暴力を振るった子どもを言葉で制していくことを続けることで秩序のない社会が生まれるのか? そうではなくて、伸び伸びした子どもたちが育つのか? それはまだわからない。
昔、ドラマ『スクールウォーズ』で「悔しいです」って言う部員を一人一人殴っていく有名なシーンがあったけど、それもいまはダメなわけじゃないですか。あれはドラマですが、現実でも、先生と生徒であっても人間と人間。そういう先生に一発殴られるという指導で育った僕たちは、殴ってはいけないから殴らないには正直モヤモヤするところもある。
そこで思うのは、部活を強くするために殴る蹴るというのは愛情ではなくて感情が入っているんですよね。100パーセント感情からではなく愛情だと言い切れますか? 怒りの感情とかで殴ったり蹴ったりしていないですか? ぶん殴るってそういうこと。愛のムチなんて言葉は通用しない。
■カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。オンラインサロン「竹山報道局」は、昨年4月1日から手作り配信局「TAKEFLIX」にリニューアル。ネットでCAMPFIRE を検索→CAMPFIREページ内でカンニング竹山を検索→カンニング竹山オンラインサロン限定番組竹山報道局から会員登録