5日秀岳館暴力問題で謝罪する段原一詞監督、中川静也校長ら
5日秀岳館暴力問題で謝罪する段原一詞監督、中川静也校長ら

 部活の指導という名の体罰ももっとあったかもしれないし、生徒たちが不条理に思うこともあったかもしれない。もちろん、いい先生もいたとは思いますけど。ただ、学校全体として、その醜態をさらしてしまった。学校の一番ダメなところが簡単に全部出てしまったということ。

 謝罪とか監督が解任とかで済まされるのではなく、通っている生徒と保護者、そして卒業生のためにも、学校をどれだけ立て直せるかですよね。日大アメフト悪質タックル問題と同様、第三者組織を入れて調査して、どこまで学校を立て直せるか。別に学校がスポーツなんか強くなくてもいいんだから。でも、大事なのは、渦中のサッカー部の部員たちからサッカーを取り上げないようにしてほしい。

 今回の秀岳館の件では、全てを変えていかないとダメだなと思った一方で、どこの私立の学校でも、生徒を獲得しなければいけないというビジネスとして学校を動かしている学校経営者はいるのかなと思ってしまう。ということが、今回の秀岳館に関して考えていたことです。

 秀岳館のこととは切り離して、これを機に教育現場での体罰のこと考えた。僕らの世代は、体罰をメチャメチャ食らって学生時代を過ごしてきたんですよね。教育現場で暴力は絶対にいけないけれども、本音を言うと、どうしても殴らなければならない時もあるのではないか?

 例えば、女子生徒をボッコボコに殴っている男子がいたとします。その女子を助けるために、殴っている男子を引きずりまわすかもしれない。でも、いまはそういうときでも暴力はダメなんです。なぜ、引きずり回して、引き離すことがダメなのか? そういうときに使ってしまう暴力もダメなのか? 暴力はダメなものはダメとは理解していても、ダメなものはダメなロジックを説明できないというのは本音なんですよ。

 ウイルスミスのアカデミー賞授賞式の平手打ちと同様、妻を悲しませることを言った人がいたとしても、平手打ちは暴力でダメなものはダメ。ウイルスミスの気持ちはわかるけれども、平手打ちしたウイルスミスは負け、なぜならば、あれは暴力だから。

暮らしとモノ班 for promotion
「一粒万倍日」と「天赦日」が重なる最強開運日にお財布を新調しよう!収納力重視派にオススメの長財布46選
次のページ
現役の先生に聞いてみた叩かず指導のホンネ