「園長先生、ヘリから何かが落ちてきました!」
知らせを受けた神谷氏がベランダから屋根を見ると、コップのような形状のもの(直径8センチ、長さ10センチ、重さ213グラム)が落ちていた。屋根に下りると、もわっとエンジン油の臭いが漂った。
110番通報するとともに、メディア各社に連絡した。警察は1時間半ほど現場検証を行い、落下物を回収していった。落下物について地元メディアからヘリのプロペラの根元にある機器に使用される「ストロンチウム90」のカバーであることを知らされ、衝撃を受けた。周辺が放射性物質で汚染されていたら、開園するわけにはいかない。琉球大学の物理学者に問い合わせ、知人にガイガーカウンターで計測してもらったところ基準値内であることが確認できた。
近くの公民館にある県が設置したカメラにはヘリが飛行する映像が、集音機に大きな落下音が収められていた。だが、米軍はヘリの部品であることは認めながら、飛行中に落下したものではないと否定している。
保育園の保護者は、事故を受けて緊急父母会を開いた。保育園上空の飛行禁止、事故の原因究明及び再発防止などを求める署名活動を行い、わずか2カ月で12万6907筆を集めた。3回にわたって上京し、防衛省や外務省、警察庁と交渉した。神谷氏が説明する。
■基地被害絶えず「復帰祝えない」
「具体的な解決策を求めても、『米側に申し入れしています』『これは国と国の問題なので』といった、つかみどころのない返答ばかりです。第二小については、米軍はヘリの窓が落下したことを認めており、沖縄防衛局は何十人も職員を派遣して軍用機の飛行を観測していました。ところが、うちには一人の職員も来ない。米軍が認めなければ来ないのはおかしいでしょう、と抗議しました」
2019年1月、沖縄北方特別委員会の議員団が、第二小と保育園を視察に訪れた。
「私がこれまでの経緯を説明すると、自民党の議員の方が大変驚かれて『米軍が認めようと認めまいと関係ない。防衛局がここにも来るように私から言います』とおっしゃってくださったのです」
だが、いっこうに防衛局から連絡はなく、ようやく電話がかかってきたのは、同年2月25日の朝だった。前日には、普天間基地の移設先とされる辺野古沿岸の埋め立ての賛否を問う県民投票が行われ、およそ7割が反対票を投じた。このタイミングには裏があるのではないか、と神谷氏は訝る。
「電話で防衛局職員の訪問日を約束した翌日、岩屋毅防衛相(当時)が記者の質問に対して『緑ケ丘保育園に沖縄防衛局の職員を派遣します』と発言したのをテレビのニュースで知り、びっくりしました。これがどうつながるかわかりますか。県民投票で辺野古はNOとなった。しかし、宜野湾の人たちは普天間の危険性を訴えている。移設しかないじゃないかという方向に世論を持っていくために使われるのではないかと感じてしまう」