当方、隠居仕事で弁護士を始めるつもりはない。そう考えた私はこの事務所に応募することを決め、修習の合間に1週間かけて応募書類を書き上げ、送った。

 同事務所のHPには、毎年200人以上が新人採用に応募し採用は1人か2人とあった。今度もダメかなと思っていたら、代表から面接するという連絡が来て、神谷町にある事務所に出かけた。

 最初は、型通りに志望動機を話した。そのうちに朝日新聞や日本新聞協会でやってきた著作権の仕事に代表も詳しく、仕事を通じた共通の知人もいることがわかり、志望動機よりも双方が知っている話に花が咲き、あっという間に90分くらいが経ってしまった。

 面接自体は楽しかったものの、これで良かったのかと感じたが、1カ月後に2次面接に呼ばれた。代表、ベテラン、若手の弁護士の3人と面接し、またまた、90分くらい同じような話をした。それからさらに1カ月以上が過ぎ、採用が決まった。

 運が良かったのは間違いない。ただ、編集出身の私が2010年、当時の定年まであと7年だった53歳で縁もゆかりもない知的財産部門に異動し落胆した時、腐らなくて良かったと思う。

 そもそも私は60歳を過ぎてもできる限り働きたいと考えていた。著作権の仕事をしているうちに面白くなり、会社を辞めた後もできる仕事として弁護士を目指し法律の勉強を始めた。仕事にも熱が入り、社外に知己が増えた。なぜ、採用してくれたのかはわからないが、仕事を通じて得た知識、経験、人脈が役立ったのではないだろうか。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。

 就職先が決まった後は、二回試験に合格することが最大の目標になった。不合格でも後の修習期の二回試験を2回受けることができるが、今さら、そんなことはご免だった。

 二回試験は、ざっくりいって99%が合格するといわれる。しかし、司法試験では合格者の98%強が私よりも成績が上だった。若くて機敏で優秀な修習生に囲まれ、修習中の成績も大したことなかった私は「ひょっとして落ちるかも」と心配で、懸命に勉強した。司法試験に合格した後もこんなに勉強しなければならないとは思わなかった。

 合格のため特に大事といわれたのが、昨年12月から今年1月にかけて行われた集合修習中の論文試験(10回)の復習である。就職先の先輩弁護士から「同じ問題は出ないが、同じ考え方の問題が出る」と助言されたこともあり、集中的に復習した。集合修習の論文試験の解説授業は録画されていたので見ながら復習できたが、授業で表示された教材は原則ダウンロード不可だった。

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