■かくれキリシタンとして生きる人々
新人賞を受賞したのは田川基成さん。
「彼は新人としては珍しく、フォトジャーナリストともいえるような地に足のついた作品を写しています。故郷、長崎の海を船で移動し、その風景や人々の姿を作品に散りばめている。海と人間の関わりみたいなものが生き生きと浮かび上がってくる。スケールの大きさだけでなく、海の感情を語りかけるような作品です」(河野さん)
作品「見果てぬ海」の一枚に、なにやら広場にたくさんの人が集まる写真がある。田川さんは、こう説明する。
「これは長崎県・福江島で写したもので、聖母行列といって、マリア様の像を担いで行進するんです。その前に運動公園に集合しているところ。村ごとに教会があって、そのプラカードを甲子園の入場行進みたいに掲げて、お祈りをしながら行進する。それを初めて見たときは、かなり衝撃を受けました」
長崎県は平地が少なく、急傾斜地が多い。この険しい地形が周囲と隔絶した集落をかたちづくり、独特の宗教文化を生み出したという。
「海からしか訪れることのできない絶壁に囲まれた村々。そこには政治権力が届かなかったので、彼らは生き残ることができたんです」(田川さん)
彼ら、というのは「潜伏キリシタン」のことだ(キリシタンはポルトガル語に由来するキリスト教徒のこと)。江戸時代、キリスト教は禁じられ、過酷な宗教弾圧が行われた。
「父の実家のある西彼杵(にしそのぎ)半島はもともと潜伏キリシタンの本拠地だったんです。でも、ほぼ全滅させられた。大村、長崎という政治の中心地に近かったからです」(田川さん)
興味深いことに、潜伏キリシタンたちが世界と切り離されていた数百年の間、彼らの信仰は独自のかたちに変化していった。そのため、潜伏キリシタンの一部は明治時代に禁教が解かれても再びキリスト教徒になることを拒み、「かくれキリシタン」として生きる道を選んだ。
「かくれキリシタンは、寺や神社の祭りを行いながら、キリシタンとしての行事も400年くらいずっと行い続けてきたんです」(田川さん)
南アジアには村ごとにキリスト教、イスラム教、ヒンズー教と、宗教が異なる地域があるが、それと同様な状況が長崎にはあるという。
「うちの島は仏教だけど、向こうに見える島の住人はほとんどキリスト教、みたいな状況がこの狭く入り組んだ地域に混在しています。そのすべてが海を背景としてできているんです」(田川さん)
カメラを携えて地元の島々を巡る旅は、自分の知らない宗教のコミュニティーのなかに分け入っていく旅でもあったという。