ここで問題! このタスキは何を意味していると思いますか。
そうです、このタスキは実は人間の「魂」なのです。ランナーの肉体は次から次へと変わっていくのに、一本のタスキは元のままのタスキで変わりません。この駅伝の思想こそが実は輪廻転生なのです。マラソンは一人の人間がひとつの人生を完結して終わりますが、駅伝は完結しないのです。駅伝は何人もの人生を反復しながら、タスキを手放しながら走るのです。
この駅伝の競技はそのまま人間の輪廻転生を表していると思いませんか。輪廻転生なんて信じない人は駅伝よりも一人の人間が全うして終わるマラソンに興味を持っていただくとして、輪廻転生を信じる人は駅伝にその思想を見て下さい。魂の存在を信じる人は駅伝でしょうね。ある時、駅伝ってなんだろう? とボヤーッと考えている時、突然「輪廻転生」という言葉が脳に浮かんだのです。そうか、あのタスキは転生する魂だったのか、と考えると輪廻転生の思想がそのまま駅伝とクロスしたのです。最終ランナーがゴールに飛び込んで駅伝は終わります。駅伝のゴールが実は人間の不退転なんです。ゴールに飛び込んだら二度と転生しません。輪廻も打ち止めで、この地上に戻ってくることはありません。不退の土(ど)というのは涅槃のことです。輪廻転生のサイクルを終了した魂は死後永遠に生存し続けます。二度と肉体人間にはなりません。
こんな発想は僕の寝言だと思って下さい。仏教者や仏教学者は誰も言っていません。美術家の空想です。でもこの空想の中にもちょっぴり真実があるかも知れません。ないものを「ある」と主張するのが芸術です。真面目な発想からは芸術は生まれません。芸術はジョーク、デタラメ、イイカゲンの中から創造されるのです。ピカソは芸術は発明するのではなく、発見するものだと言っています。僕はピカソに倣って駅伝の中に輪廻転生を発見したのです。
駅伝の発祥の国は日本だと思います。西洋で発祥しなかったのは、輪廻転生の思想がなかったからでしょうか。以前、瀬戸内さんがフランスのテレビ局のインタビューを受けて、輪廻転生について発言を求められた時、瀬戸内さんは即座に「そんなものない」とおっしゃった。西洋近代主義を肯定してフランス人を喜ばせようとされたのかも知れませんが、当のフランス人はびっくりしていました。その時、僕もアレレと思ったことをフト思い出しました。僧侶でもある瀬戸内さんが、どうして輪廻転生を否定されたのでしょう。つい、生前に聞きそびれました。
以前、僧侶と仏教学者が、この問題でシンポジウムを開いた時、ほぼ全員が、輪廻転生を否定していました。すると、僕の駅伝輪廻転生説も否定されるんでしょうかね。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年6月3日号