このライブでは、そんな絶妙な時期の明菜が堪能できる。が、この3カ月後から彼女は人間不信を深めていき、心身の状態もより不安定になっていくのである。

 惜しまれるのは、家族やスタッフとの関係だ。ひばりは肉親との絆が強く、安定してつきあえるスタッフもいて、明菜ほど孤独ではなかった。せめて、ひばりのようであったなら、今頃は「愛燦燦」や「川の流れのように」のような円熟味のある名曲が生まれていたかもしれない。

 とはいえ、90年代以降、孤独化していったことが、明菜人気をより揺るぎないものにもしている。世の中には、純粋で善良であろうとする人ほど、不器用だったり、上手に立ち回れないという考え方があり、それゆえ、明菜の不遇に同情や共感を抱く人が一定数いるからだ。

 こうした考え方や同情、共感を文学の世界で活用したのが太宰治だった。じつは太宰と明菜が似ているという指摘は以前からあり、筆者もちょくちょく言及している。なお、このライブが地上波で再放送される予定だった6月19日は、奇しくも桜桃忌、太宰の命日だったりもする。

 また、太宰と尾崎豊が似ているという指摘もある。すでに触れたように「伝説のコンサート」シリーズでは尾崎の最期のライブも放送された。こういうタイプの人は熱烈な郷愁や追憶を生むので、伝説にもなりやすいのだ。

 今回の地上波再放送の予定に加え、7月15日には「中森明菜スペシャルライブ~2009・横浜」(NHKBSプレミアム)が放送される。こちらは、カバー曲を歌いまくったライブだ。歌謡曲を愛し、歌謡曲に愛された歌姫ならではの魅力が味わえる。

 ただ、このように過去のライブが次々と「伝説」として紹介される状況は、本人にとってどうなのだろう。彼女はあくまで今も現役の歌手なのだ。本人はやはり、ファンの前で歌い、喝采を浴びることを最大の幸せに感じているのではないか。そして、それはファンにとっても同じはずである。

 だからこそ、明菜とファンにとっての新たな「伝説のコンサート」がこれからの未来に生まれることを願ってやまない。

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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