「歌詞は人の声を通して、つまり身体化して完成するわけですね」と問いかけると、「そうだね。今でも、当時の歌詞を誰かが歌うと新たな気づきがある」と松本さん。歌詞それだけでは未完成で、出来上がるのは人の声を通して。「未完成」という言葉には青春の初々しさも感じられる。身体化という意味では肉筆も同じだ。指先から生まれた肉筆に松本さんの感情の起伏を表す微かな揺れの痕跡があり、ユーミンの心に刻まれ、だから僕に教えてくれた。半世紀も前のことなのに。
はっぴいえんどは日本語でロックを歌う革命を成し遂げたが、そのメンバーだった松本さんは、作詞家として日本の音楽界の何もかもを塗り替え、多くの名作を生み続けた。
『言葉の教室』の執筆を通し、僕は当時の松本さんにひそやかな勝算と自信を感じた。その礎は深い読書量に基づく教養である。
「10までは言わない。1で留める」。吟味の果てに言葉を削(そ)ぎ落とす凄(すご)みと、そこに生まれるふくよかな余韻は日本文学の系譜だった。「余白、余韻には意味がある」。そして定型やテクニックの放棄。「これらはぼくからいちばん遠いところにある。どういう表現をすれば人の心が動くのか。それは潜在意識に届く言葉。潜在意識に言葉を届けるには、つくる側も潜在意識を使う。頭で考えるのではなくどれだけ自分を空白に、無にしておけるか、無から生まれるものには強さが備わっている」
松本さんがさらに続けたのは、故郷・東京への喪失感についてだった。「僕は東京を離れてしまっているけれど、この前ビルから渋谷を眺めたら、(再開発で)穴ぼこだらけ。これはない」
故郷を「風街」と呼んだ松本さんだが、言葉の教室のラストにまるで変わってしまった故郷の姿を語り、これは後輩の君たちに託すからねというふうにマイクを置いた。
※週刊朝日 2022年7月29日号