しかし、怒られながらも仕事を与えてくれる環境で、少しずつラーメン作りを覚えていった。3時間かかっていた掃除は40分で終わるようになった。掃除が早くなるとともに仕事も覚えていっている感覚だった。
6年が経ち、店主が「もう教えることはないから独立しろ」と背中を押してくれた。地元・佐倉で店を開きたいという思いから物件を探した。ロードサイドのカラオケハウスだった物件を借りて改装し、店を作った。こうして2010年9月、「和屋」はオープンした。33歳の時だった。
はじめは修業先である「海空土」に似たラーメンを作っていた。「和風」をテーマに、様々な食材を合わせた複雑な味わいを目指した。食べたことがありそうでない一杯だ。オープン前の9月15日と16日には、プレオープンとして無料でラーメンを振る舞った。2巡目に食べたお客さんが、さすがにお金を払わせてくれと300円を置いていった。それが初めての売り上げだった。
特に宣伝はしていなかったが、店の前のたくさんの花輪を見て通りがかりの人が食べに来てくれた。その時の多くのお客さんの感想は「しょっぱい」だった。食材の複雑なうまみを目指したのに、「しょっぱい」という感想をもらったことに大久保さんは驚いた。
「疲れていたんだと思うのですが、味がなかなか安定しませんでした。特に開店してから半年で東日本大震災が起こり、そこからは閑古鳥が鳴いていました」(大久保さん)
修業時代とは勝手が違う。味も全部自分で決められる環境は、一見やりやすいように聞こえるが、いいも悪いもすべて自分で判断しなくてはならない。自分の軸がブレていることが、味にも表れていたのだ。とにかくラーメンをおいしくするほかはないと、大久保さんは味のブラッシュアップを続けた。オープン時は10種類だったスープの素材も、今は20種類だ。醤油ダレも手間暇をかけてうまみを上げていった。
そこからだんだんと客足が戻り、今は地元客を中心とする街に根差した店になった。ファミリーやお年寄りも多く、老若男女に愛される一杯を提供している。