エルサレム市内を走る路面電車(ニシム・オトマズキン提供)
エルサレム市内を走る路面電車(ニシム・オトマズキン提供)
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 私が1990年代の終わりに初めて東京に着いたとき、最も感銘を受けたことの一つが、発展した都市の列車システムでした。地下鉄、各列車、路面電車とそのネットワーク化されたシステム、そして安価に速くどこでも移動できることに驚きました。

【写真】アラブ人、ユダヤ人が同乗する路面電車の車内

 毎朝、私は地下鉄東西線の落合駅から東側の江戸川区にある西葛西駅近くの日本語学校に通っていました。毎日の往復はスムーズでとても簡単でした。また都電荒川線のチンチン電車に乗って早稲田から池袋まで行くのも好きでした。

 イスラエルの列車の利用率はヨーロッパや日本に比べて、まだ非常に少ないです。独立以来、イスラエルの近代的な公共交通機関の開発は、主に自動車道路、バス路線に向けられ、列車への投資は非常に限られていました。実際、10年前までは、イスラエルには市内電車さえありませんでした。また3年前からテルアビブの地下鉄工事を始めましたが、まだ完成していません。

 歴史的に、イスラエルの地に最初の列車が登場したのは、1892年までさかのぼることができます。オスマン帝国時代にフランスの会社によって建設されたこの路線はヤッフォの港町から聖都エルサレムへ、地中海を渡って到着した人々を運びました。それ以来、この路線は1990年代に完全に閉鎖されるまで運営されていました。しかし人々の列車の使用は、徐々に車やバスに取って代わられていきました。

 しかし10年前、エルサレム市で最初の市内路面電車(トラム)が開業しました。エルサレムに線路を建設することはとても困難な作業でした。まずは地形的な問題。エルサレムは多くの丘と谷の連なる山岳都市です。それだけでなく、市内に住む異なるコミュニティーの人々の反対がありました。人々は自分の居住地域を外部の人々が通過するという考えに反対しました。もう一つの課題は、エルサレムの人々に列車文化を受け入れさせること、つまりそれまでの日常の文化だった自家用車での移動を放棄するように説得することでした。

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Nissim Otmazgin

Nissim Otmazgin

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授。トルーマン研究所所長を経て、同大学人文学部長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年ヘブライ大学にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に贈られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。2012年、エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

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路面電車計画は大成功だった