「たしか表紙のところに買った当初から少しだけ剥がれちゃっていた部分があったんですよね。翔平は、それが気になるから自分で色を塗ってみたんですけど、思い通りにいかずにさらにおかしくなって泣いて、怒って。絵本なんかでもそうでしたね。お気に入りの本の端っこが少しでも折れちゃったりすると、気になって、気になって、しょうがないみたいで。『誰が折ったんだ!』みたいな勢いになっちゃうこともありました。
翔平が感情をむき出しにして怒るとしたら、自分が大事にしていたもの、持っていたものが傷ついたり、壊れたりするとき。でも、それぐらいでしたね。私たち親がガーッと怒らなければいけなかったことが、考えてみると本当になかったと思います」
父が唯一、末っ子を本気の声で叱ったのはハリーポッターのノートで泣きわめいたときだけだった。「そんな小さなことで怒るんじゃない!」。徹さんが翔平に対して声を荒らげたのは、後にも先にもほかにはなかったという。当の本人は、その“大谷家の事件”を「まったく覚えていないんですよね」と笑う。何の躊躇いもなく、あっけらかんとそう言うあたりも彼らしい。
■きょうだい全員に反抗期はなかった
翔平自身にも、怒られた記憶がほとんどない。
「お父さんから怒られたのは、グラウンドでの野球のときだけですね。家に帰ってからはほぼなかったと思いますよ」
家族間にある風通しの良さが深く影響したと思うが、翔平にはいわゆる思春期を迎えた中学生の頃によくある「反抗期」はなかったと、母の加代子さんは言う。
「反抗期という反抗期はなかったような気がします。訳もなく反抗したり、態度が悪かったということは特になかったと思います。それは翔平だけではなく、子供たち三人ともにそうでした。それぞれが自分の部屋に籠ることもありませんでした。特別に家族みんながものすごく仲がいいというわけではないんですよ。
家にはテレビが一台しかなかったので、何となくみんなが同じ場所に集まって一緒にテレビを見る。本音を言えば、子供部屋にテレビを一台ずつ置く余裕もなかったですし、みんなで一緒に同じ時間を過ごしたいと私は思っていたので、テレビは一台にしたところはありましたけどね」