筆者も、獅子文六の「ちんちん電車」由来説に大いに賛同するところだ。
獅子文六は1893年の横浜生まれだから、物心がついた1900年代初頭には横浜市も東京市も路面電車の開業を迎えている。創成期の路面電車を体験した岩田少年の記憶を記述した「ちんちん電車」の文脈からは、車掌が引く信鈴や運転手が踏鳴らす警鐘「チンチン」の点打音が鮮やかに蘇ってくる。
東京市電400型は「ちんちん電車」の
イメージにジャストフィット
獅子文六が幼少時代に親しんだ「ちんちん電車」のイメージにフィットするのが東京市電の400型だ。
400型は1924年から翌年にかけて200両が量産された木造四輪単車。警鐘はフート・ゴングを装備。紐で鳴らす信鈴とともに「ちんちん電車」の風情にぴったり符合し、壮年期の獅子文六も市内の往還で一度は乗車したことだろう。
冒頭の写真は戦前の東京市電400型で、宮松金次郎氏の作品をご子息・宮松慶夫氏からお借りできた。撮影日は1934年8月26日と記録されている貴重な一コマだ。当時の8系統(浜松町一丁目~四谷塩町)に充当された572号を、浜松町一丁目停留所の折返し間合いに撮影したものと推察される。
この時代、東京市電の架線は複線架空式で、集電用の2本一組のポールを 車体中央に装架していた。終点に着くと運転手と車掌がトロリーコードを担いで「ポール回し」をしていた光景が連想できる。
次のカットが信鈴の紐を握る都電の車掌さん(東京都交通局の現職名は乗客整理員)。「一球さん」と愛称され荒川線で活躍した6000型車掌台のスナップショット。この6152号は1949年日本車輛で製造され、半世紀にわたり稼働したレジェンドだった。2002年に退役して、沿線に所在する「荒川遊園(リニューアル工事のため休園中)」で保存されている。
次のカットは前号で掲出の、とさでん交通「維新號」運転台天井に取り付けられた信鈴で、レプリカとしては凝った造りをしている。車掌台から客室内天井を這わせてきた紐と直結されている。