イラスト/さとうただし(週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
イラスト/さとうただし(週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
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 江戸に幕府を開いた徳川家康以来、幕末の慶喜に至るまで計15人の将軍を生んだ。ここでは週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から、歴史研究家の河合敦さんが将軍の日常生活について解説。何時間働くのか、自由時間の過ごし方は、など、意外にキッチリ決められていた日常生活を送り、綿密なスケジュールにそって過ごしていたことがわかる。今回は、江戸後期の将軍の生活を紹介する。

【イラスト解説】将軍は忙しかった! 1日のタイムスケジュールはこちら(全9枚)

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 将軍は1日の大半を中奥(なかおく/江戸城の表と大奥の間にあり、将軍が起居し政務をとった区域。なお、大奥には将軍の正室、側室らが居住し、男子禁制だった)で過ごす。朝6時に目覚めると、これを確認した小姓は「もう」と合図。すると、人々が朝の支度にとりかかる。

 一方将軍は用を足しに行く。便所は大便所と小便所が2枚立障子で隔てられている。冬は便所に火鉢を置き、夏は小姓が団扇であおいだ。

 便所から戻ると水の入った茶碗が用意され、うがいをし、たらいのお湯で顔を洗い歯を磨く。朝食は午前8時。粗食だが毎日鱚の塩焼きと漬焼がつく。ただし1カ月に3度は鯛や鮃(ひらめ)の尾頭付き。食べたい料理を希望する将軍もいる。家斉は尾張の鮨を好み、家慶は生姜を毎日食べた。

 朝食の最中に御髪番が髪を整え、食後に医師の診察がある。その後は自由時間。昼食は正午。大奥で食べる将軍もいた。二の膳付きで、鯛や鰈(かれい)、鰹(かつお)などが出た。

 午後1時から政務。老中から届いた案件を御用取次らに読み上げさせ、次々に決裁。可決された案件は「伺之通(うかがいのとお)りたるべく候そうろう」という紙札をはさむ。意に沿わない場合は、再考をうながした。

 政務を終えるとしばし楓の間でくつろいだが、その後ろに御用の間(四畳半の座敷)があり、大切な考え事をするときはここに籠もった。座敷にはたんすがあり、中に将軍自筆の書類や目安箱の意見書、諸大名に与える判物などが入っており、この部屋で花押(かおう/署名の一種)を書き朱印(公文書に押す印判)を押した。

 午後5時からは入浴。将軍は風呂場に行くだけ。脱衣から身体を洗い、着替えるまで、全部小姓がやってくれた。午後6時から夕食。その後は読書や娯楽などをして過ごし、夜10時頃に就寝。大奥へ渡り、泊まる場合もあった。

※週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から