■「俺のインスタレーション、わかってねえな」
「今日は酒が入ってないからね」と笑う山本さんの語り口はざっくばらんで、小難しいことは一切口にしない。
「バブルが崩壊したころ、運よくアメリカで展覧会ができるようになったんです。最初(94年)はサンフランシスコだったかな」
転機が訪れたのはそれから2年後。あの「散歩写真」が「ニューヨークで、ばかうけした」。
「もうすごかったですよ。(ポップ・アートの先駆者の一人)ジャスパー・ジョーンズの横に記事が出たり、ニューヨーク・タイムズに載ったり。『こりゃ、いけるなあ』と思った」
作品もかなり売れ、全米各地で個展を開くようになった。
ところが、「売れているから、OKだと思っていたんですけど、だんだんわかってくるわけですよ。なんだ、こいつら、俺のインスタレーション、わかってねえな、と(笑)」。
そこで山本さんは「ぼくがほんとうにやりたいこと」と言い、繰り返し語ったのは「言葉にならないようなお話」だった。
「ぼくはとにかく文学性を重んじていて、言葉にならないようなお話をインスタレーションでつくっていったんです。展示した作品と作品の間、スペースに意味があるとか。それを『絶対いい』『面白いじゃん』と思って、やっていたんだけれど、まったく通用していなかったことに何年かしてようやく気がついた」
山本さんは当初、インスタレーションした壁面をそのまま「ブロックで売る」ことを望んでいたが、そういうかたちではまったく売れなかったのだ。
「だからみんな1点1点買っていくわけ。『ああ、これは作戦失敗』と思った」
■ライティングで彫刻する
そんなわけで、「インスタレーションで売るのはもうやめよう、一つ一つ写真の中にストーリーがある、というふうにしていかないとまずいな」と、方向転換する。それが「川」シリーズ(08年)となった。
さらに、「浄」になると、「それまでの『散歩写真』とは完全に違う。木の根っこや石を写しています。スタジオで撮る始まりですね」(ちなみに最近は、八ケ岳周辺など「自然のスタジオ」の中に盆栽を置き、撮影している)。
木の根や石は「そのへんの川や海で拾ってきた」ものだそうで、それを「切ったり彫ったりしないで、ライティングで彫刻している」。
山本さんは写真集のページをめくりながら「これは『人がシカをかついて家に帰る』っていうイメージですね。こっちは『メデューサ』」と、楽しそうに説明する。
「一回、死んじゃったものに光を当てて、写真で命を吹き込もうかな、とか。生きていたときはすごい大木を支えていたわけだから、写真で重力から解放してやろうかな、とか。まあ、そんな気分で撮ったんです。ただこれも何の意味もない。提示しているだけ。それを何と見るか」