「いまの私があるのは先生のおかげなんですよ」と、言ってくださる方が多かった
インタビューを行った1階はちょうど資料室に改装中で、膨大なフィルムの保管棚が並ぶほか、長年収集した写真雑誌や写真集が置かれる。3階には「TAギャラリー」が設けられる。
「竹内だけでなく、広く風景写真を撮っている方たちと一緒に日本の美しい自然を残していこうということなんです」と、記念館を軸とした活動の理念を語る。
財団が掲げるのは「写真文化の向上と発展」「写真表現作品の存続保持」「写真文化後継者の発掘育成と顕彰」「教育支援」など。今後の活動資金は賛助会員の会費によってまかなわれ、事業内容は「理事会で決定される。ですから、これからは私の発想ではなくなるわけです」。
私が特に興味を持ったのは、教育支援の一環として行われる撮影会と講評会(詳細はホームページ参照)。
「竹内はこれまでアマチュアの方の指導をたくさんしてきました。こんなに忙しいのだからやらなくてもいいんじゃない、と思うほどでした。それなのに引き受けて。しかも、終わってからみんなで飲みに行く。どこへ行ってもいちばん最後までつき合って、それで体を壊してしまった」
私も竹内さんが倒れる直前までその姿を間近に見てきたので、胸が痛い。
「竹内はその人が夢中になるというか、人生の軸にできるものを写真のなかに見出せるように教えるのがとても上手なんですよ。ほかの人にはない、いいものをそれぞれに見つけてあげる。すごいなあ、と思っていました。『いまの私があるのは先生のおかげなんですよ』と、言ってくださる方も多かった。そういうことを反映していきたい」
「もっと自然のなかに入り込むことで、こんなに撮れるんだ」
開館と合わせてTAギャラリーで開催される「天地聲聞 春夏編」展について、古市智之副館長はこう語る。
「竹内はもともと『花祭』『汚染海域』とか、ドキュメンタリーを撮影していたんです。この『天地聲聞』の発表(キヤノンカレンダー、84年)によって、風景写真を写していることを世間に知らしめた」
古市さんが初めて「天地聲聞」を目にしたのは高校時代だった。
「この作品を月刊『カメラマン』のグラビアで見たとき、衝撃を受けたんです。『ああ、これも風景写真なんだ』と。そのとき、竹内敏信という作家を知った。いつかこの人に教わりたいな、と思いました。それで専門学校に入学して、先生に教わって、そのまま事務所に入ったんです。くすぐったいでしょ、このへんが(笑)」。
古市さんの手が竹内さんの肩に触れる。竹内さんも笑っている。(何も言わないけれど、ちゃんと話は伝わっているんだなあ)。そう思うと、こちらもうれしくなる。古市さんは話を続ける。
「それまではアンセル・アダムズの作品とか、大判カメラで精密に撮ったものが風景写真だと思っていたんです。それが、35ミリ判で風景を撮ったらこんなにすごいんだ、と。サロン調の風景写真じゃなくて、もっと自然のなかに入り込むことで、こんなに撮れるんだ、と。それを明らかにした作品だと思っています」