写真家・久保田良治さんの作品展「A Door of Hope」が2月4日から東京・新宿のリコーイメージングスクエア東京で開催される。久保田さんに聞いた。
インタビューの前、久保田さんとメールでやりとりをした。私がインターネットを介したオンライン取材を提案すると、こう返事があった。
<ぼくは、作品の魂が宿るのは「プリント」だけであると考えています。つまり、データをお見せしても、作品の最も重要な部分が伝わらないと思うのです>
インタビュー当日、東京・東神田の喫茶店に入ると、日に焼けた顔の久保田さんと目が合った。声をかけると、つい先ほど、展示プリントの検品が終わったところだという。
そこで話し始めたのは作品の内容ではなく、プリントの「黒」のことだった。久保田さんは2年前にカナダから帰国して以来、デジタルカメラで撮影したモノクロ画像の黒をどう出すか、試行錯誤してきた。
「いろいろなチャンスはあったんですけれど、黒が出ない、というのがずっと引っかかっていたんです」
写真集の出版や展示会の話はあったものの、それを断り続けてきたのは、納得のいく黒が出なかったからだという。
「日本に帰ってきて、この写真をどうかたちにしようかと考えると、やはり、銀塩プリントだろうと」
そして、たどり着いたのが深みのあるモノトーンを再現できる「バライタ印画紙」へのプリントだった。
展示プリントのチェックには久保田さんを推す写真家・内藤明さんも加わり、黒の濃度を測るスケールをあて、確認作業を行った(プリントの担当者はさぞ大変だっただろう)。
「正統的なノンフィクションの記録」とは違う切実さ
B4判ほどの大きさに引き伸ばしたテストプリントを見せてもらう。厚みの感じられる印画紙の縁には、焼き込み指示が書かれたたくさんのふせんが貼られている。
その束を両手でつかむと、路上に寝そべりながら宙を見上げる男の顔が目に入った。生活用具が男を囲み、その向こうのビルの上に並ぶ看板が見える。ちょっと微笑んだ表情。そこに座って会話するようにカメラを向ける久保田さんの姿が感じられた(後で知ったのだが、実際にそのように写したという)。
写真展案内には「カナダにある路上生活者向けの滞在施設『シェルター』で過ごした、8カ月間を記録した作品」とある。
「最近ではあまり見なくなったような気がする正統的なノンフィクションの記録」「遠巻きに眺めるのではなくて、そこの人々と一緒に生活するという、(中略)最も根源的な方法」と、内藤さんは書いている。
それを読んだ私は最初、ジャーナリストの鎌田慧さんや横田増生さんらによる「潜入取材」のような撮影手法を思い浮かべた。
しかし、本人から話を聞いていくうちに、「正統的なノンフィクションの記録」とは違う切実さを感じた。そんなカッコいいものではない。久保田さんは決して「彼ら」とは言わず、「ぼくら」と言う。さらに「ホームレス」という言葉でくくらないようにと訴えた。
「その言葉は単なる『ラベル』であって、何も表現していない。ぼくらのありのままの姿を、人間として見てほしいんです」