『水のように』は放送中のNHK連続テレビ小説「おちょやん」のモデルとなった浪花千栄子の自伝である。<私の半生は、人に、かえり見もされないどぶ川の泥水でございました>と本人が述懐するように、特に少女時代の体験は想像を絶している。
1907年、大阪府富田林市の山麓の村に生まれた千栄子は4歳で母と死別。8歳から道頓堀の仕出し料理屋に奉公に出て、16歳まで働いた。1銭の給料も出ず、衣食が与えられるだけ。<子供にとっては前代未聞の重労働でございました>
<しかし私は、子供のときから、泥水の中にでも、美しいはすの花が咲くことを信じていました>と彼女はいう。奉公時代の彼女を支えたのは、独学による文字と芝居のセリフの修得だった。文字は油揚げや焼き芋を包む古新聞のシワを伸ばしてふところに入れ、便所の中でこっそり覚えた。芝居茶屋や劇場に重箱や弁当がらを回収にいった際に芝居を覗き見し、同じ演目を何度も見ているうちにセリフも動作も丸暗記してしまった。重労働が頑丈な肉体をつくったのも含め、結果的に、この女中奉公時代が<私という人間が、造り上げられ、形づくられるためには、一番重大な時期であったのでございます>。
その後、複数のお屋敷での奉公やカフェーの女給を経て芝居の世界に入るが、楽しげにアレンジされたドラマより史実のほうが悲惨な印象。後に結婚し、20年後に離婚した渋谷天外との関係も幸福とはいえず、座長の妻と女優という二つの役割の間で相当苦しんだようだ。
とはいえ、どこまでも独立独歩で自分の道を切り開いていくバイタリティはまさに朝ドラ向き。初版は1965年刊。どぶ川の泥水という自嘲は自負に変わる。<あんたひとりで種をまきなはれ、こんど実ったら、だれも、持って行かへん>とは離婚と松竹新喜劇の退団とでしょげる千栄子に長谷川一夫がかけた言葉。生涯師をもたなかった彼女の人生をよく表している。
※週刊朝日 2021年1月29日号